球場で流しそうめん、金田正一伝説。
元ロッテ応援団員が明かすトンデモ話
元ロッテ応援団員が語る「あの頃のロッテ」 前編
今季のロッテは開幕から好調を維持し、9月15日時点で首位ソフトバンクと0.5ゲーム差の2位。今年で球団設立70周年を迎えた記念すべき年に、2005年シーズンぶりのパ・リーグ制覇、「最大の下克上」を果たした2010年シーズンぶりの日本一へ期待が高まっている。
これまで、本拠地や名前を変えながら歴史を刻んできたチームを、あらゆる面から支え続けてきた男がいる。ロッテオリオンズの内野応援団から、ロッテ本社での営業職を経て、千葉ロッテマリーンズ球団職員として22年間勤務した横山健一氏だ。間近でロッテの変遷を目にしてきた横山氏に、今なお語り継がれる逸話の裏話を聞いた。
観客席での流しそうめんなど、川崎球場にはさまざまなものが持ち込まれた photo by Sankei Visual――横山さんが応援団員になったきっかけを教えてください。
「東京スタジアム(※)時代からずっとロッテを見ていたんですが、とにかく面白かったんですよ。金田正一さんが監督になってワーワーやっていたし、人気もありました。ただ、1978年に本拠地が川崎球場になったじゃないですか。当時はチームの調子も悪く、応援する人が少なくなって応援団員も来なくなっちゃったんです。
僕はずっと応援団の近くで試合を見させてもらったり、仲良くさせてもらったりしていた。本拠地が移った当時は中学3年生でしたが、『人がいないならやるしかねぇ』って感じで応援団員になったんです(笑)」
(※)1962年~1977年、東京都荒川区南千住にあった野球場。千葉ロッテマリーンズの前身にあたる毎日大映(以降は東京、ロッテ)オリオンズが本拠地として使用していた。
――東京スタジアムはどんな球場でしたか?
「狭いところもありましたが、すごく近代的でした。今でも日本ではあまり見られない、メジャーリーグの球場みたいな感じです。とにかくカッコよかった。入り口はスロープ式の通路で、中に入れば2階建てのスタンド。ゴンドラ席が内外野の端まであり、グラウンドは内野にも芝生が敷いてありました。球場周辺の下町の雰囲気とのギャップもあって魅力的でしたよ」
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