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2005年伝説の日本一のロッテは
「今では当たり前」の野球の先駆者だった (2ページ目)

  • 栗田シメイ●文 text by Kurita Shimei
  • photo by Sankei Visual

藤田 阪神も"JFK(ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之)"がいたように、うしろ3枚がしっかりしているチームは強かった。

小林 (渡辺)俊介や(小林)宏之なんかと話しをしても「6回まで試合を壊さなければ勝てる」と言っていましたからね。先発陣も初回から飛ばせたし、コミさん(小宮山悟)や高木(晃次)さんがロングリリーフとして控えてくれていたのは本当に心強かった。先発陣も「コミさん、高木さんに早い回からお世話になるわけにはいかない」という思いもあっただろうしね(笑)。

藤田 あの年は先発ローテーションの6人(渡辺俊介、清水直行、小林宏之、セラフィニ、久保康友、小野晋吾)が全員2ケタ勝利。すごい記録だよね。オールスターにも10人が選出された。そら強いわ(笑)。

小林 とにかく勢いがすごかった。

藤田 当時の投手陣は、年に2回は全員が集まって食事をするなど仲がよかった。ジョニー(黒木知宏)が盛り上げ役で、コミさんなんてお酒飲まないのについてきてくれて。

小林 いま振り返ると、ボビーの野球はデータ最重要視で戸惑う部分もあったけど、今では当たり前に行なわれていることだからね。

藤田 でも、当時は慣れないことばかりだったよな。

小林 勝負どころで、藤田さんが右バッター相手に続投したり、右左関係なく代打が出たり。とくに野手は大変だったと思いますよ。守備シフトやランナーの動かし方とか、細かい注文も多かったので。

藤田 それでも勝っちゃうからね。今のラミレス監督(DeNA)がやっている野球なんかは、当時のボビーに近いものがある。ボビーは選手によって合う、合わないがはっきり分かれる監督だったけど、チームを勝たせることで信頼されていった。

小林 最初は戸惑ったけど、やっていくうちに慣れてくるというか、それが当たり前になってくる。

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