松坂世代のいま。PL出身・大西宏明が波乱万丈の野球人生を振り返る (3ページ目)

  • 広尾晃●文 text by Hiroo Koh
  • photo by Kyodo News

「あの時のことは映像で何度も流れましたら、目に焼き付いています。僕としては『まだ試合を終わらせたくない』という気持ちだけで打席に立っていました。ただ、力だけで言えば横浜が7対2ぐらいで勝っていたと思います。それほど力の差はありました。それがあれだけの試合になったのは、"PL学園"のユニフォームのおかげです。

 松坂は本当にすごい投手でした。球の速さ、コントロール、変化球とすべてがすごかった。同世代では、敦賀気比(福井)の東出輝裕(現・広島コーチ)や関大一高(大阪)の久保康友(元ロッテなど)とも対戦しましたが、松坂は次元が違った。それまでの価値観を覆すような投手でした」

 結局、試合は延長17回、PLは敗れた。一方、この試合に勝った横浜は準決勝でも明徳義塾(高知)を破り決勝に進出。その決勝では京都成章相手に松坂がノーヒット・ノーランを達成し、史上5校目(当時)の春夏連覇を果たす。

 夏が終わった頃から"松坂世代"という言葉が世間に流布し、松坂を筆頭とする同世代の選手たちが注目されるようになる。大西もその世代の一員として近畿大学に進み、俊足・好打の外野手として活躍する。

「スラッガータイプではありませんでした。堺ビッグボーイズでもホームランはゼロでしたし、高校でも2年から試合に出ていたのに5本だけ。しかも金属バットで。僕自身はリードオフマンタイプだと思っていました。あとは外野守備。足と肩が売りでした」

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