2020.02.02

「野球やめるしかないな」。王貞治は
スランプの柳田真宏に冷たく言った

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第7回 柳田真宏・後編 (前編から読む>>)

 平成の世にあっても、どこかセピア色に映っていた「昭和」。まして元号が令和になったいま、昭和は遠い過去になろうとしている。そんな時代に活躍したプレーヤーの貴重な過去のインタビュー素材を発掘し、個性あふれる「昭和プロ野球人」の真髄に迫るシリーズ。

 柳田真宏さんは、西鉄から巨人に移籍したばかりでケガにみまわれ、寮長に「クビ」を予告されてしまう。まさに野球人生の大ピンチから、どのようにして〈巨人史上最強の五番打者〉と呼ばれるまでになれたのか。そこには「世界のホームラン王」との不思議な言葉のやりとりがあった。

1971年の日本シリーズ・阪急戦で本塁打を打った柳田(36番)を柴田、土井、王らが迎える(時事フォト)
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 一度はクビを覚悟したから必死で練習し、結果が出たからこそ契約してもらえた、と思っていた若手に対して「来年ダメだったらクビ」は厳し過ぎる。「そのときの自分がどうだったかは、ちょっと言葉にできないです」と言う柳田さんの眉間に深いしわが刻まれていた。

「西鉄で1年目のときも、俺、クビになんのかな、と思ったときありました。ある試合でベンチ入り25人枠のなか、まだプロでヒットを打ってない選手が3人いました。新人の僕と、2年目のジャンボ尾崎こと尾崎将司さんと浜村孝さん。そしたらスタートで出た浜村さんがまず打って、ジャンボも途中出場で打った。僕は8回にピンチヒッターで出たんですが、中西太監督から『おまえだけだ、打ってないの。打てなかったらもうやめて帰れ!』って言われたんです。

 高校出たばっかりの選手だったら、監督直々の言葉はなんでも本気に聞くものでしょ? 『クビかよ......』と思ったら、打席で足が震えました。でも、そこで僕、ホームラン打っちゃったんです。プロ初ヒットがホームランで、しかも決勝打でね。翌日、中西さんにお小遣いをいただきました。ははっ。打席でドキドキしたぶん、うれしかったですねえ」