ロッテ種市篤暉が「欠点を見抜かれた」場所。悩み続け光が見えた5日間 (3ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro

 長くプロ野球を取材してきたが、そのような投手は何人も見てきた。まず種市は、これまでシーズンを通して一軍で投げたことがなく、昨年が初めての経験だった。主力になる選手の誰もが通る道だが、「何もわからないし、とにかく1年が長い」としんどさを訴える。種市も「シーズン終盤は体がきつくて、思うように体が動かないなかで投げていた」と振り返った。

 必死に投げていたなかで、種市は知らず知らずのうちにフォームを崩してしまったのだろう。一度変わってしまった投げ方を元に戻すのは簡単なことではない。

 合宿は5日間しかなく、種市は表情を曇らせる。むしろ、今にも泣き出すのではないかと思うほどの落ち込みようだった。

 その時、千賀が声をかけた。

「走って忘れようや」

 外野に誘い出し、両翼のポール間をふたりで走った。

 合宿の1日は長い。夜は体のケアやトレーニングと並行して、昼間撮影した映像をもとに動作解析を行なう。モニターの数が限られているため、ひとり1台ではない。それが逆に、選手同士の意見交換の場をつくり出し、それはこの合宿の名物となっている。

 今年の合宿には同じ歳の高田萌生(巨人)や浜地真澄(阪神)、長谷川宙輝(ヤクルト)、1歳下の遠藤淳志(広島)、清水達也(中日)、吉住晴斗(ソフトバンク)も参加していた。実績ではもちろん種市が群を抜いているが、この合宿に初めて参加した彼らは驚きのスピードで成長していく。その変化は、映像を見れば明らかだ。

 これまでできていたことができなくなる。こんなに悔しいことはない。じっとモニターを見つめる種市の表情は、また泣き出しそうになっていた。

「悩め、悩め。たくさん悩め」

 千賀が種市の背中をポンと叩いた。千賀自身もかつて同じ場所で同じような思いを経験してきた。それを乗り越えたからこそ、今があるのだ。

 種市はテイクバックの際、力んでしまうことで右腕が背中のうしろに出てしまうことを反省していた。鴻江氏、そして千賀がアドバイスを送る。

「右手はその場に置く感じでいいんじゃないか」

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