「日本の野球ってすげぇんだぜ」
宮本和知は五輪での金メダルを自信にした

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Jiji photo

野球日本代表 オリンピックの記憶~1984年ロサンゼルス大会
証言者・宮本和知(2)

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 1984年8月7日、ロサンゼルス五輪。

 野球の決勝はアメリカと日本が対戦することになった。日本の先発のマウンドを託されたのは、伊東昭光(本田技研、のちにヤクルト)。準決勝のチャイニーズ・タイペイ戦で延長10回途中まで投げたアンダースローの吉田幸夫(プリンスホテル)もブルペンでスタンバイしていた。日本はこの試合でも、これまでにつくり上げた"伊東、宮本、吉田"という勝ちパターンの3人による継投を目論んでいた。

ロス五輪の決勝でアメリカを破り、金メダルを獲得した野球日本代表メンバーロス五輪の決勝でアメリカを破り、金メダルを獲得した野球日本代表メンバー そのうちのひとり、サウスポーの宮本和知(当時、川崎製鉄水島、のちに巨人)の脳裏には、決勝直前に見たある光景が焼き付いている。

「アメリカの選手たちがガムを噛んでいたんですよ。あの頃の日本の野球にはあり得ないことでした。チャラチャラしているというか、ダラダラしているというか......いや、いま思えば、ガムを噛んでいただけなんですけど(笑)。高校野球で育って、厳しい監督のもとで野球をやってきた僕からすれば『何、ガム噛んでんだよ』って思いました。アメリカ人にとってはそういう文化のなかで育ってきたんですから、それが当たり前なんでしょうけど、僕らには抵抗がありましたね。

 しかも、ごっついアメリカ人がガムをクチャクチャ噛んでいると、それだけで強く見えたりして(苦笑)......。選手村でもね、日本人は、朝は早起きして、散歩して体操して、あとは部屋に閉じこもって本を読んだりするわけじゃないですか。でもアメリカ人は選手村のディスコで踊ったりするわけですよ。我々、日本人は競技者って感じで、アメリカ人はアスリートって感じなんです。普段はリラックスしながら『休む時間に踊って何が悪いの?』みたいな発想(笑)。『オリンピックだからって普段の生活を変えるの? オレたちは変えないよ』って感じ。考え方が日本のスポーツ界とはまったく違っていたんです。そういう類のことには何度も驚かされましたね」

 ドジャースタジアムの午後8時、決勝戦が始まった。

 アメリカの打線にはマーク・マグワイア、ウィル・クラーク、シェーン・マックら、のちにメジャーリーグで活躍するスーパー大学生たちが並んでいた。日本の先発、伊東は3回、そのマック(のちに巨人でもプレー)にレフトスタンドへ先制のソロホームランを浴びてしまう。

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