2019.11.08

八重樫幸雄が「野村ノート」を公開。
ヤクルト黄金時代を築いた金言たち

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

連載第8回(第7回はこちら>>)

【ノムさんの第一印象は「ヨボヨボの幽霊」!?】

――これまで、三原脩、広岡達朗と、八重樫さんが師事してきた歴代名将についてお話を聞いてきましたが、今回からは野村克也監督について伺います。野村さんとの接点は、そもそもあったのですか?

八重樫 最初に野村さんを見たのは、僕がまだ若手で、野村さんが南海ホークスのプレイングマネージャーだった頃ですね。キャッチャーとして肩はそんなに強くはなかったけど、スローイングのコントロールはよかったし、何よりもバッティングはすごかった。それに、打者心理を探るのが上手というのか、人を見る目に長けている方ですよね。いわゆる「ささやき戦術」というのも、その選手の性格を知るために行なっていたんでしょうね。

1989年にヤクルトの監督に就任し、黄金時代を築いた野村克也 photo by Sankei Visual――野村さんが現役を引退して、評論家になってからの接点は?

八重樫 野村さんはグラウンドまで来ない評論家だったから、ノムさんの引退後に接点はなかったかな? 次に接点を持ったのが1989(平成元)年のオフ、監督就任が決まって秋のキャンプのときだったと思いますよ。そのときの感想としては「大丈夫なのかな……」って(笑)。

――どういうところが「大丈夫なのかな……」、なんですか?

八重樫 当時、僕はもうベテランだったから秋のキャンプは免除されていたんだけど、新監督就任ということもあって、「1週間は練習に出てくれ」と言われたんで、秋の神宮に行ったんです。そのときにコートを着た野村さんがやってきたんだけど、もうヨボヨボの幽霊みたいなの(笑)。正直言って、「これで監督が務まるのかな?」って思ったよね。

――覇気がないというのか、体力的に激務に耐えられるのかというか……。

八重樫 うん。ちょっとだけあいさつしたんだけど、すぐに長いコートを着てパイプ椅子に座ったままで、「身体、大丈夫なのかな?」というのが最初の印象だったな。

――じゃあ、その次に会うのが翌年2月のユマキャンプですね。その時点では「ヨボヨボの幽霊」状態から体力は回復していたのですか?

八重樫 東京で会ったときよりも、ずっと元気になっていましたね(笑)。そして、1クール終わる頃には、見違えるぐらい元気になっていたな。

――やっぱり、現場に戻ると野球人の本能として活力がみなぎってくるんですね。

八重樫 いや、そういうことじゃなくて、別に理由があったんです。東京にいた頃はサッチー(沙知代夫人)から、体調管理のために厳しい減塩指導を受けていて、塩気のないものばかり食べて、大好きな甘いものも控えていたんだよね。でも、ユマに着いてサッチーの目がなくなったので、普通のしょうゆや塩を使う料理を食べて元気になったんじゃないのかな? ポケットにも甘いものが、いつも入っていましたから(笑)。