古田敦也は打倒西武のためビデオ地獄
「ノイローゼになるんちゃうか」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

西武×ヤクルト "伝説"となった日本シリーズの記憶(43)

【司令塔】ヤクルト・古田敦也 前編(前回の記事はこちら>>)

 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。

 1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、黄金時代を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。

 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。両チームの当事者たちに話を聞く連載22人目。

 第11回のテーマは「司令塔」。前回の西武・伊東勤に続いて、ヤクルト・古田敦也のインタビューをお届けしよう。

ヤクルト入団1年目から正捕手を務めた古田敦也と野村克也監督 photo by Kyodo Newsヤクルト入団1年目から正捕手を務めた古田敦也と野村克也監督 photo by Kyodo News【シリーズ前には100本以上のビデオをチェック】

――1992(平成4)年、翌1993年のスワローズとライオンズとの激闘から、すでに四半世紀以上が経過しました。この2年間は今でも、古田さんの中に息づいていますか?

古田 そうですね、細かいことは忘れている可能性もあるけど、この25年間の間に何度か見直している試合もあって、それなりに覚えているかなと思います。

――1992年はライオンズが、そして1993年はスワローズが日本一に輝きました。この2年間について、どんな印象をお持ちですか?

古田 1992年は負けて終わっているんでね。やっぱり負けて終わると、その年のオフからずっと楽しくないんですよ。リーグ優勝はもちろん嬉しいんですよ。嬉しいんだけど、日本シリーズで勝たなくちゃ「意味がない」とまでは言わないけど、嬉しさが半減するんです。だって、目の前で相手チームの胴上げを見て、それがシーズンの終わりになるんですから。それはやっぱり、苦い思い出ですよね。

――まずは1992年シリーズから振り返ります。この年はタイガースとのデッドヒートの末に10月10日にセ・リーグ優勝を決め、その一週間後の17日にはシリーズ初戦を迎えています。事前の対策、準備は万全で臨めたのですか?

古田 あまりよく覚えていないけど、スコアラーが集めたデータを基に、ホテルで直前合宿をしてミーティングをしたり、データを分析したりしたことは覚えています。でも、あの頃はテレビを見ても、新聞を読んでも、「西武はメチャクチャ強い。圧倒的に有利」というものばかりで、戦前の予想も「0勝4敗でヤクルトが負ける」と言われていましたよね。

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