2019.09.23

飯田哲也が西武戦で痛恨の落球
「野球人生でもっとも思い出したくない」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(39)

【リードオフマン】ヤクルト・飯田哲也 前編

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 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。

 1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、黄金時代を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。

 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。両チームの当事者たちに話を聞く連載20人目。

 第10回のテーマは「リードオフマン」。前回の辻発彦(「辻」は本来1点しんにょう)に続いて、現在はソフトバンクの三軍外野守備走塁コーチを務める、元ヤクルト・飯田哲也のインタビューをお届けしよう。

1990年代にヤクルトのリードオフマンとして活躍した飯田 photo by Sankei Visual【「日本シリーズはお祭りだから、緊張しなかった」】

――スワローズとライオンズが激突した1992(平成4)年、翌1993年の日本シリーズ。飯田さんにとっては、どんな思い出が残っていますか?

飯田 すごいメンバーがそろっていたあの西武との対戦でしたから、1992年に最初に戦った時には、「無様な試合だけは見せられない。とにかく0勝4敗だけは避けたいな」と思っていたことはよく覚えていますね。

――野村克也さんも、「4タテを食らうことだけは避けたかった」と話していました。当時のライオンズについては、どんなイメージを持っていましたか?

飯田 本当に「強い」というイメージだけでしたね。名前を聞いてもすごいピッチャーしかいないし、対戦したこともないし、初めての日本シリーズだったのでどうやって戦えばいいのかもわからない。だから、さっきも言ったように、「ワンサイドゲームだけは避けたい」という思いだけでした。とにかく、「シーズン通りの戦いをしたい」という思いが強くて、「西武がどうこう」という感じではなかったですね。

――1992年シーズンは阪神タイガースとのデッドヒートを制し、10月10日にセ・リーグ優勝。一週間後の17日に日本シリーズ開幕というスケジュールでした。ある意味では、シーズンの勢いをそのまま持ち込むこともできたのでは?

飯田 そうですね。この年のシーズンはとても苦しかったし、日本シリーズまでの準備期間もそれほどなかったから、そのままの流れでシリーズに臨めたかもしれないですね。ただ、僕自身はとくに緊張もしなかったです。「日本シリーズはお祭りだ」と思っていたので。

――スワローズサイドは、ほぼ全員が「とても緊張していた」と話していましたが、飯田さんはまったく緊張しなかったのですか?

飯田 僕の中では「リーグ優勝がすべてだ」と思っているので、先ほども言ったように、「日本シリーズはお祭り」という感覚なんです。”おまけ”というか、「日本一」ということに、あまり重点を置いていなかったんですよね。もちろん日本一にはなりたいんですけど、それまでのリーグの戦いが厳しすぎて、すぐにシリーズに向けて気持ちの切り替えもできなかったですし、まったく緊張しなかったです。