平石洋介が振り返りたくない高校時代。松坂の存在がその想いを変えた
連載第6回 新リーダー論~青年監督が目指す究極の組織
1998年夏の甲子園準々決勝のPL学園対横浜戦。同点の引き金となった8回表の伝達ミスをPLの主将である平石洋介は自戒した。だからといって、狼狽したり、思考が乱れたりするようなことはなかった。
同点にされてから落ち着く暇がなかった。二死二塁から横浜・小山良男のセンター前ヒットで、大西宏明のバックホームはベース手前でイレギュラーし、捕手の石橋勇一郎の顔面に直撃した。病院に緊急搬送されたことで、2年生の田中雅彦が公式戦初マスクを被ることになった。それでも、平石に動揺はなかった。
「僕らが3年の代になったら、『石橋が(田中)雅彦にレギュラーを獲られるかもしれない』って思っていましたから。バッティングは石橋の方が上でしたけど、キャッチャーとしての守備なら雅彦は抜群にうまかったですからね。公式戦は初出場でしたけど、そこまで心配していませんでした」
捕手が田中に代わり、平石が伝令でマウンドに向かった際、集まった内野手全員が笑っていた。平石自身、何を伝えたのか、今となっては細かく覚えていないが、みんなが落ち着いていたことだけは記憶にある。
延長11回に同点のホームを踏みガッツポーズする平石洋介。写真右は松坂大輔 そして、その裏の攻撃で平石は代打として出場することになる。2番の井関雅也が足をつったことによる交代だったが、平石は平常心を保っていた。
三塁コーチャーズボックスから松坂大輔を見続けていた平石は、不安定だった序盤とは別人の松坂がマウンドに君臨していると、自分に言い聞かせていた。カウント2ストライクからの3球目。外角のボールゾーンから鋭く曲がる縦のスライダーに手が出てしまい、空振りの三振に倒れた。
「やっぱり別格でした。松坂が投げた瞬間に『ボールや』と思ったんですけど......中途半端というか、あまりいいスイングができなかったですね。序盤と違い、いいボールを放っていました」
それでも、本来の松坂に戻ったことを確認できただけでも、平石にとっては収穫だった。この打席での認識が伏線となり、効力を発揮したのが1点を勝ち越されて迎えた11回裏の攻撃だった。
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