2019.09.12

平石洋介が振り返りたくない高校時代。
松坂の存在がその想いを変えた

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Jiji Photo

連載第6回 新リーダー論~青年監督が目指す究極の組織

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 1998年夏の甲子園準々決勝のPL学園対横浜戦。同点の引き金となった8回表の伝達ミスをPLの主将である平石洋介は自戒した。だからといって、狼狽したり、思考が乱れたりするようなことはなかった。

 同点にされてから落ち着く暇がなかった。二死二塁から横浜・小山良男のセンター前ヒットで、大西宏明のバックホームはベース手前でイレギュラーし、捕手の石橋勇一郎の顔面に直撃した。病院に緊急搬送されたことで、2年生の田中雅彦が公式戦初マスクを被ることなった。それでも、平石に動揺はなかった。

「僕らが3の代になったら、『石橋が(田中)雅彦にレギュラーを獲られるかもしれない』って思っていましたから。バッティングは石橋の方が上でしたけど、キャッチャーとしての守備なら雅彦は抜群にうまかったですからね。公式戦は初出場でしたけど、そこまで心配していませんでした」

 捕手が田中に代わり、平石が伝令でマウンドに向かった際、集まった内野手全員が笑っていた。平石自身、何を伝えたのか、今となっては細かく覚えていないが、みんなが落ち着いていたことだけは記憶にある。

延長11回に同点のホームを踏みガッツポーズする平石洋介。写真右は松坂大輔 そしてその裏の攻撃で平石は代打として出場することなる。2番の井関雅也が足をつったことによる交代だったが、平石は平常心を保っていた。

 三塁コーチャーズボックスから松坂大輔を見続けていた平石は、不安定だった序盤とは別の松坂がマウンドに君臨していると、自分に言い聞かせていた。カウント2ストライクからの3球目。外角のボールゾーンから鋭く曲がる縦のスライダーに手が出てしまい、空振りの三振に倒れた。

「やっぱり別格でした。松坂が投げた瞬間に『ボールや』と思ったんですけど……中途半端というか、あまりいいスイングができなかったですね。序盤と違い、いいボールを放っていました」

 それでも、本来の松坂に戻ったことを確認できただけでも、平石にとっては収穫だった。この打席での認識が伏線となり、効力を発揮したのが1点を勝ち越されて迎えた11回裏の攻撃だった。