打倒・松坂に燃えた夏。PL主将の平石洋介は最高のチームを完成させた (2ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Kyodo News

「センバツであんな終わり方をしたんじゃ、辞めるに辞められないですよ。『打倒・松坂』。負けた瞬間から選手らの間にもそういう雰囲気が出ていましたし、『平石らの夏を見捨てて辞められへん!』というかね。それに、中村監督がいなくなったから、夏は甲子園に出られませんでしたっていうのもね。『中村監督の力は大きかったんやね』って思われたくもなかった。せやから、オヤジに『頼むから夏までPLにいさせてくれ!』って」

 春夏通算6度の全国制覇を成し遂げた中村は、PL学園の象徴だった。その絶対的な存在を失うとなればチームに動揺が走ってもおかしくない。それでも高いモチベーションを持続できたのは、清水の残留が大きい。

 主将の平石は、中村が辞めたことで「チームが沈むことは一切なかった」と断言した。

「清水さんが残ってくれたのは大きかったですね。中村さんが監督時代も練習メニューは清水さんが決めてくれていましたし、河野(有道)さんが監督になられてもそれは変わらなかった。中村さんが勇退されたことで寂しさはありましたけど、それも力に変えられたというかね。春に敗けてから、すぐに『夏こそは日本一になろうな!』って雰囲気になりましたから」

 新監督の河野は選手の自主性を重んじるスタンスだったことで、センバツ後の平石はよりコーチの清水との連携を深めた。

 練習でより選手の動き、プレーに目を凝らす。打者ならばバットのグリップの位置からスイングの軌道、重心のバランス、体重移動と、細部までチェックし、頭にインプットする。戦術面にしても、練習でのシート打撃でサインを出す清水の意図を汲み取り、試合前日にはそれらの要素をまとめ、清水と照合して臨む。そんな日常が当たり前となっていった。

 コーチの清水は、試合になればベンチにいない。だから、平石は球場に入ると、まずスタンドを見渡す。「あそこに座ってるな」。清水がいるだけで、落ち着いて試合に臨めた。

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