斉藤和巳が語る和田毅の凄さ
「細部までこだわっていろいろ考えてる」
1998年夏の甲子園を沸かせた"松坂世代"のなかで、大学に進学した選手たちがドラフト会議で指名されたのは2002年。福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)の自由獲得枠で入団してきたのが、和田毅だった。1995年ドラフト1位で入団していた3歳上の斉藤和巳は、それまでにプロ通算9勝を挙げてはいたものの、危機感とともに"松坂世代"に対してジェラシーを抱いていたという。
2003年以降のホークスをけん引したのは、斉藤と、"松坂世代"の和田、杉内俊哉、新垣渚の4人だった。そのなかで今も現役選手としてマウンドに上がっているのは、肩の故障から完全復活を目指す和田だけだ。
最多勝を2度獲得したあと、肩の手術・リハビリに6年間も費やしながらマウンドに上がることなく引退した斉藤が、現役を続ける後輩にメッセージを贈る。
現役時代に、和田の練習を見守る斉藤、杉内ら――1995年ドラフト1位でホークスに入団した斉藤さんが、プロ6年間で挙げた勝ち星は9つだけでした。"松坂世代"が入団してきた時にはどんな思いを抱いていましたか?
「甲子園でものすごく騒がれた"松坂世代"は、和田も杉内も新垣もみんな、社会人や大学で実績を積み上げてプロに入ってきました。僕よりも年下だけど、全然上だと思っていましたね。僕は高校時代も甲子園にまったく届きませんでしたから......」
――彼らが入団したときの斉藤さんのチームにおけるポジションは?
「2002年は途中から先発ローテーションに入って4勝しましたけど、『そのうち居場所がなくなるんじゃないか』という危機感がありました。いいピッチャーが次々と入団してきましたし、僕は肩に爆弾を抱えていたので」
――2003年には斉藤さんが開幕投手をつとめましたが、そういう心境だったんですね。
「そうですね。自分のことで精いっぱい。ピッチャーとしての才能では新垣が一番。杉内は自分を持っているというか、頑固で、人の意見を聞き流すのがうまい。和田はグラブからアンダーシャツといった、細かいところまでこだわり抜く、繊細なピッチャーでした。
和田が今でも現役を続けているのは、細部までこだわって、いろいろなことを考えてきたからでしょう。常に『なんで?』『どうして?』と考えていました。和田とはよく、野球のことについて話をしましたよ」
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