2019.07.01

中日・高橋周平が体の動き方改革を実施。
1本のファウルが契機だった

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

「今日も何か、いいことがありますように……」

 試合前、高橋周平はロッカーに置いたお守りに向かって、心の中でそう呟く。

「お守りといっても普通のお守りとはちょっと違うんですけど、そのなかにいる神様に『いい日になりますように』って必ずお願いするんですよ。3、4年くらい前からかなぁ。佐伯(貴弘、ドラゴンズの元コーチ)さんにもらったお守りなんですけど、そうやって常に自分におまじないをかけています」

5月は打率.417をマークし、月間MVPに輝いた中日・高橋周平 交流戦を終えてセ・リーグの打率トップに立っていたのは、ドラゴンズの背番号3、プロ8年目の高橋周平だった。打率.32385本のヒットのいずれもが、この時点でリーグトップ。”未完の大器”がついに”覚醒”したという声があちこちから聞こえてくる。

「プロに入ってずっと結果が出ていなかったのは事実ですから、覚醒と言われることについては嬉しいことだし、でも同時に、まだシーズン途中ですから、これからしっかりやっていかなきゃいけないなという思いもあります」

 この”覚醒”は、成長というよりもむしろ、本来のポテンシャルを発揮できるようになっただけだ、という見方も根強い。東海大甲府で高校通算71本のホームランを放ち、プロ3球団から1位入札を受けて、クジを引き当てたドラゴンズへ入団したのが8年前。

 ドラゴンズでは立浪和義以来、24年ぶりとなる高卒ルーキーでの開幕一軍を勝ち取り、プロ初ホームランも放った。2年目も開幕一軍でスタートしたが、すぐに二軍行きとなり、初スタメンは8月。それでも逆転満塁ホームランを放つなど、大器の片鱗は覗かせていた。

 しかし、高橋は伸び悩む。

 3年目以降、一軍と二軍を行ったり来たりしながら、思うような結果が出せない。6年目には右手の有鈎骨(ゆうこうこつ)を骨折するなどのケガにも泣かされ、才能の芽さえ出せないまま、あっという間に7年のときが流れた。高橋が当時をこう振り返る。