2019.07.01

原口文仁は系譜を受け継ぐか。
八木裕から始まった阪神「代打の神様」

  • 中田ボンベ@dcp●文 text by Nakata Bonbe
  • photo by Kyodo News

 2019年1月24日、阪神の原口文仁が、自身のTwitterアカウントで大腸がんと診断されたことを公表した。近日中に手術を受け、選手として復帰することを目指すといった内容のコメントを出したが、当時まだ26歳と若く、チームに欠かせない存在だっただけに多くのファンが手術の成功と早期復帰を願った。

6月9日の阪神対日本ハム戦。9回裏に代打で登場し、サヨナラ安打を放った原口文仁

 その思いが通じ無事に手術は成功。2月に球場でのリハビリを始め、3月7日には早くもチーム(二軍)に合流した。その後も懸命に復帰に向けて練習に励み、ついに6月4日の対ロッテ戦で1軍復帰。4点リードの9回表に代打で出場すると、いきなりフェンス直撃のタイムリー二塁打を放ったのだった。大病からのカムバックを果たした原口に、阪神ファンのみならず対戦したロッテのファンからも大声援が送られた。阪神の選手、スタッフ、そして野球ファンにとって忘れられない試合になったに違いない。

 復帰戦でいきなりタイムリーを打ったように、代打での勝負強さは原口の大きな魅力だ。昨シーズンは、阪神の偉大な先輩・桧山進次郎の代打記録に並ぶ23本のヒットを放っており、シーズン代打打率.404は全球団トップ。まさに「代打の切り札」と呼べる活躍を見せた。そこで今回は、阪神伝統の「代打の切り札」の歴史を紹介する。

◆阪神が誇る「代打の神様」の系譜

○八木裕(1987年~2004年)

 阪神の代打といえば「代打の神様」という称号が有名だが、これは1987年から2004年まで阪神一筋で活躍した八木裕に最初に名付けられたもの。八木は1993年ごろから若手の台頭により代打に回ることが増えたが、そこで勝負強さを発揮。1997年には代打で打率4割を超える活躍を見せた。そこで当時監督だった吉田義男が「代打の神様」と八木を呼び、これがファンにも定着したのだった。

 八木は選手生活の晩年となる2003年に4番打者を任されることもあったが、代打の神様としても活躍を続け、引退する2004年までに代打通算98打点を積み上げる。これは当時の球団最多記録だった。