2019.05.25

斉藤和巳が燃え尽きた試合。
絶望へと繋がる稲葉篤紀に投じたあの一球

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

負けないエース・斉藤和巳が歩んだ道(3)

 1999年、2000年にパ・リーグを連覇したホークスは、2003年に斉藤和巳を中心とした投手力と、チーム打率2割9分7厘を誇った強力打線でリーグ優勝を飾り、日本一に登り詰めた。しかし、その後はリーグ優勝から遠ざかることになる。

 2004年に新設されたプレーオフ(クライマックスシリーズ:CS)で勝てなかったからだ。ホークスにとっての”鬼門”を勝ち抜かない限り、リーグ優勝も日本一も見えない。2006年プレーオフは斉藤にとっても、チームにとっても格好のリベンジの場だったのだが・・・・・・。  

2006年のCS第2ステージでファイターズに敗れ、マウンド上でうずくまる斉藤

【王監督のためにも負けられなかったCS】

 ホークスは短期決戦で勝てない。

 2年続けてプレーオフで負けたホークスは、そう言われるようになった。シーズン1位で臨んだ2004年のCSは、第2ステージでライオンズに敗れて2位に終わった。親会社がダイエーからソフトバンクに代わった2005年は、シーズンで89勝を挙げるなど抜群の強さを見せたものの、やはりCSでマリーンズに敗れて”下克上”を許した。

「三度目の正直」と臨んだ2006年のシーズンで3位だったホークスは、日本シリーズに進むために同2位のライオンズ、同1位のファイターズに勝たなければならなかった。

 その年のペナントレースで26試合に登板し、初めて投球回数が200イニングを超えた斉藤には疲労があったはずだ。だが、目標はリーグ優勝をして、日本一になること。チームを離れて胃がんの治療に専念していた王貞治監督に、いい報告をすることだった。

 斉藤はライオンズとのCS第1ステージ第1戦に先発し、その年に17勝をマークした松坂大輔と投手戦を演じる。エース対決は0-1で敗れたものの、チームは第2戦と第3戦に勝利してファイターズとの第2ステージに進んだ。

 シーズン1位のファイターズには1勝のアドバンテージがあり、第1戦で敗れたホークスは早くも窮地に追い込まれた。負けられない第2戦、ホークスはエースをマウンドに送った。ずっと中6日という登板間隔を守ってきた斉藤にとって、6年ぶりの中4日での登板となった。

 ファイターズ先発の八木智哉との投げ合いで、両チームとも無得点のまま9回裏を迎えた。ファイターズの先頭打者は森本稀哲だった。斉藤は足の速い一番打者にあっさり四球を与えてしまう。

 斉藤が振り返る。

「完全にスタジアムの雰囲気に飲まれました。9回表にホークスが0点で終わった瞬間、『1点取られたらサヨナラ負けになる』と思ってしまった。そして、初球、2球目とボールが続き、スタジアムの空気が変わりました。メンタル面で後ろ向きになったのがダメだった」

 2006年のファイターズは、シーズン中に「引退宣言」をした新庄剛志がファンを盛り上げていた。2002年に本拠地を北海道・札幌に移転して以降の初優勝を目前に、ムードは最高潮に達しつつあった。ファンが見たかったのはファイターズのサヨナラ勝ちであり、監督、選手たちの胴上げだった。