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上林誠知はイチローからの影響大。
「記憶より記録でアッと言わせたい」 (3ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • photo by Getty Images

 鈴木の方がひとつ先輩になるが、こういう時でも物怖じせずに言葉を発するのが上林という男だ。

「内川(聖一)さんからもアドバイスをいただきました。『シリーズのような短期決戦はどれだけ打つかも大切だけど、それ以上にどこで打つかだ』と。第1戦はまったくダメで、第2戦は欠場。もちろん悔しかったけど、第3戦が開幕なんだと気持ちを切り替えて臨んだら1本だけだったけどヒットが出た。それで心に余裕ができて第4戦に入っていけたのだと思います」

 不振から脱却したところに、たしかな成長とたくましさを感じた。

 じつはこの広島と戦ったシリーズでもっとも期待をしていた選手が上林だった。もし歴史が繰り返されるものだとすれば、上林にとって野球人生のターニングポイントとなる頂上決戦になるのではないかと考えたからだ。

 シリーズ前に工藤公康監督はこのようなことを話していた。

「カープとやる日本シリーズは接戦のイメージがあります。まだ西武にいた頃86年と91年はどちらも43敗の決着でした。とくに86年は8戦目までもつれた。初戦引き分けから3連敗しましたが、そこから4連勝しました。最後の試合で登板しましたが、緊張して唇も真っ青でした」

日本シリーズ史上唯一の第8戦。当時の工藤投手は3対2と勝ち越した直後の8回裏からマウンドに上がった。ピンチを背負いながらも2回を無失点。歓喜の胴上げ投手となった。

「あそこを乗り越えられたことで、自分自身も変われたかなと思うんです」

 また、同じ試合で、「野球人生の分岐点になった」と語るもうひとりの男がいる。それがソフトバンク前監督の秋山幸二氏だ。6回表に同点ホームランを放ち、本塁生還の際に、あの有名なバック宙ホームインをこの時、初めて披露したのだ。

「あれで"自分"というものが変わるキッカケになった。反響が大きかったしね。自分自身がより積極的になったし責任も増した。何よりイメージもついた。あれがなければ『秋山幸二』というただの選手だったかもしれない」

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