西武・伊原春樹の本音。「相手はヤクルトか、楽勝だな」となめていた (4ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――まさに、勝敗を分けたプレーだったんですね。

伊原 常に「我々は王者なんだ。ヤクルトには絶対に負けられない」と思っていたんですが、頭の片隅では「これはやられるかもしれないぞ」という不安も、この場面ではありました。シリーズが進むごとに、「あぁ、ヤクルトもいいチームだなぁ」と感じるようになっていましたね。

――1992年のシリーズを総括すると、どんな印象をお持ちですか?

伊原 やっぱり、勝負事は絶対に油断してはいけないというのを学びました。チームの中で、ひとりでもそんな思いを抱いてはいけない。それは自分自身への戒めにもなりました。そんなことを感じたシリーズでしたね。

――当時、黄金時代にあったライオンズだからこそ、わずかなスキがあったのかもしれないですね。

伊原 でも今から思えば、1992年は西武にとって緩やかに陰りが見え始めていたシーズンだったのかもしれない。1990年にジャイアンツに4連勝したときが最高潮だったけど、その後、石毛も、平野謙も、ちょっとずつ下火になっていった。

 でもヤクルトは、池山、古田、広澤が、これから昇っていくところだったから。それは1993年のシリーズのときに感じたよね。ヤクルトの選手たちはみんな意気込みが違っていたから。1992年にひのき舞台に出て注目を浴びたけれど、悔しい思いも経験した。そこで、「今度こそ、西武に勝つぞ!」という思いが強くなった。1993年はその差が出たのかもしれないね。

(後編に続く)

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