踏み忘れ、10万号...お騒がせマレーロが
今季は30本打つと言う理由 (2ページ目)
この年のシーズンオフ、マレーロはサンフランシスコ・ジャイアンツからオファーを受け入団。翌春のキャンプで大活躍したマレーロは、開幕メンバーに名を連ねた。そして4月14日、マレーロはようやくメジャーで初本塁打を放ったのだ。ドラフトされてから実に12年の月日が経っていた。
「すごく気持ちがよかった。その当時は彼女だった今の妻がスタンドで応援してくれていたし、球場も満員だったんです。当たった瞬間、スタンドに入ったと確信しました。あれは自分にとって忘れられない瞬間です」
だが、喜びも束の間、初ホームランから7試合後、連敗を喫していたジャイアンツは打線のテコ入れの必要に迫られ、マレーロはマイナー落ちとなってしまった。
その直後、オリックスからオファーを受けたマレーロは日本行きを決断し、新たな野球人生をスタートさせたのだった。
日本でのスタートは、いろんな意味で忘れがたい経験となった。
メジャー1号を放つまで12年もかかったが、日本での第1号はデビュー戦となった6月9日の京セラドームでの中日戦。ランナーを一塁に置いた3打席目で左中間スタンドに飛び込む逆転の一発を放ってみせた。
日本で最高のスタートを切ったマレーロは、歓声を上げ、新しい仲間たちとハイタッチを交わし、意気揚々とベンチに戻った。しかし、グラウンドでは審判たちが集まり、何か話し合っていた。それを見て、マレーロは「何か変だな」と感じていた。
そして、信じられないことが起きた。審判からホームベースを踏んでいないと判断され、日本第1号は幻となってしまったのだ。記録上は三塁打となり、逆転弾は同点タイムリーとなった。マレーロが振り返る。
「もう何が起こったのか、わけがわからなかった。言葉もわからないので、通訳に何が起きたのか説明してもらいました。それを聞いて『はぁ?』って思いました。もちろん、ホームベースは踏みました。でも、抗議する選択肢はなかったんです。だって、日本での初めての試合でしたし、気持ち的にも余裕がありませんでした。怒りはありましたが、どうしようもない状況でしたね」
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