焼肉は1回10万円以上。川崎憲次郎が明かす「プロ野球とお金」の話 (4ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

──当然、飲食代も大変なんじゃないですか。

川崎 週に4日ぐらいは焼肉食べにいってましたね(笑)。4人、5人ぐらいで××苑とか、○○亭に行って、相当食べました。支払いをするのは、一番年長の人。そこは年功序列ですね、年俸序列じゃなくて。野球選手は1皿何千円もする肉も何人前も食べるので、1回で10万円では足りません。それが毎日続くと、払うほうはさすがにつらい。

──ほかに体に気を使ったことは?

川崎 今の選手たちは栄養に関する知識がありますが、僕たちの時代は「食べたいものを食べる」のが基本でした。スワローズの寮では、ヤクルトラーメンを休みの日には毎日食べていましたね。あの、緑色のラーメンがおいしいんです。僕は好きでした(笑)。

──食の細いプロ野球選手は大成しないと聞きます。「食べることも練習だ」という人もいますね。

川崎 そうですね。食べる人はずっと食べています。やっぱり食事の量は大事で、よく食べる人は体が大きくなる。そうなると、たくさん練習ができるようになる。そのうちに野球がうまくなる確率が高い。

 僕は21歳のころまで、体が細かった。ずっと太りたかったんですが、そのあとは体重が増えて、一時期は95キロくらいあり、そのころ、いいボールが投げられるようになりました。最終的には85キロまで落としたんですが、体重はあったほうがいい。動けるデブが有利なんです。

──ご自身で「稼げるようになったな」と思ったのは、いつぐらいですか?

川崎 やっぱり、1億円の大台に乗ってからですね。1998年は僕が一番飛躍した年で、1億円以上もらっている選手の仲間入りができたかなという感じでした。ようやく認められたような気がしました。

(後編につづく)

川崎憲次郎(かわさき けんじろう)

1971年、大分県生まれ。津久見高校から1988年ドラフト1位でヤクルトスワローズ入団。プロ1年目から一軍で活躍し、1990年から2年連続2桁勝利を挙げた。1993年に日本シリーズMVPを獲得、1998年には17勝を挙げ最多勝利投手、沢村賞にも選ばれた。2000年のシーズンオフに中日ドラゴンズにFA移籍したが、肩の故障のため1勝もできず、2004年限りで引退した。現在は野球解説者として活躍している。

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