焼肉は1回10万円以上。川崎憲次郎が明かす「プロ野球とお金」の話 (2ページ目)
──ちなみに、今年の高卒ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズの清宮幸太郎選手は契約金1億円、年俸1500万円と報道されています。今の相場からすれば、当時の川崎さんは相当安い気がします。プロ1年目の1989年に4勝4敗1セーブという成績を残し、年俸は1000万円の大台には乗りましたが......。
川崎 2年目の年俸はもっと上がってもよかった気がしますが、交渉の仕方がわからなかった......。球団の人に「この金額でいいか」と言われて、「はい、ありがとうございます」という感じで。
──高校を出たばかりの選手が球団の担当者と対等に交渉するのは難しいでしょうね。
川崎 でも、もうちょっとやり方があったんじゃないかと思います。
──プロ2年目の1990年は12勝13敗、防御率3.94。1991年は14勝9敗、防御率2.91という成績を残し、2年連続でオールスター出場を果たしています。2年連続で15完投というのがすごい。でも、年俸は1991年が2200万円、1992年が4000万円でした。
川崎 今だったら、4年目の年俸が7000万くらいにはなっているかもしれませんね。年俸は毎年、倍増が続いていて、当時としてはかなりよかったほうだと思います。ただ、スケールがちょっと小さい(笑)。
「まだ若いからダメだ」と言われ......
──チームの投手陣にはベテランもいて、そのバランスもあったんでしょうか。プロ3年間で30勝というのは立派な数字だと思いますが。
川崎 交渉の席で必ず言われたのが「おまえはまだ若いからダメだ」でした。3年活躍してようやく一人前だとも言われていましたから。当時は、1年や2年、いい成績を残しても大幅アップは望めませんでした。
──3年間、好成績を残したのに4年目の1992年は登板ゼロ。右ひじの故障によって、一軍で投げることができませんでした。
川崎 春のユマキャンプで足を捻挫して出遅れ、開幕に間に合わせようとして無理がたたったのか、肘を痛めました。スワローズは優勝しましたが、僕はまったく貢献できず、ビールかけには参加していません。日本シリーズは神宮球場の2階席から観戦することになり、悔しい思いをしました。
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