【イップスの深層】横浜時代に
中根仁が考えた「送球難がバレない秘技」
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連載第11回 イップスの深層~恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・中根仁(3)
(イップスとカツラの共通点を語る前回の記事はこちら)横浜移籍後も強打の外野手として活躍し、1998年の日本一にも貢献した中根仁
移籍1年目のキャンプ初日──。
野球人生のリスタートとなる大事な日に、「キャッチボールやろう」と声をかけてくれたのが駒田徳広だった。駒田自身も1993年オフにFA宣言をして巨人から横浜に移籍しており、外様の心細さを理解している。経験豊富なベテランならではの心優しい配慮だったのだろう。
だが、声を掛けられた当人である中根仁は喜びを感じつつも、戸惑いも覚えていた。なぜなら、中根はショートスローを苦手とする送球イップスを抱えていたからだ。
「近鉄時代は、気を遣うので先輩とキャッチボールをしてこなかったんです」
移籍初日から、大先輩を相手にキャッチボールで大暴投をするわけにもいかない。悩んだ末に中根が選んだ道は、「思い切り投げない」という消極策だった。
幸いなことに、近鉄が約20分間かけてみっちりとキャッチボールをするチームだったのに対し、横浜は5分程度しか時間をとらなかった。しかも、距離にすれば40~50メートルしか投げずに終わってしまう。中根はキャッチボールでは全力で腕を振らず、続く外野ノックで本格的に肩を作るようにして新天地での"ピンチ"を乗り切った。
「キャンプ中は一度も全力でキャッチボールしませんでしたね(笑)」
しかし、駒田とキャッチボールをするなかで見えてきたこともあったという。
「駒田さんって、投げやすいなぁとあらためて感じましたね。まず体が大きい(191センチ)から、高く抜けたボールでも捕ってくれるじゃないですか。ショートバウンドもハンドリングが柔らかいから捕れる。上も下もうまいんです」
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