不祥事からのトライアウト。奥浪鏡、「もう一度、野球で」と願う4打席 (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 西田泰輔●写真 photo by Nishida Taisuke

「このままいても居場所がないと感じていましたし、思うように練習もできないなかでトライアウトを受けても力を発揮できない。10月まで待つか、自ら申し出て退団するか。そう考えると、このタイミングしかないと思って(契約解除を)言わせてもらいました。そこからは地元(広島)に戻って、トライアウトを目指してきました」

 そして長澤からの言葉も、奥浪の背中を押した。

「監督からは『自分のしたことはしっかり反省して、ちゃんと反省できたと思ったんだったら自分がしたいようにしろ。また野球がしたいのなら、そういう意思は出していかないといけない』と。あと『周りからバッシングを浴びることはあるだろうし、ファンの方のなかには裏切られたと思っている人もいる。でも、お前は社会的制裁を受けて、しっかり反省したんだったら、前を向いて歩いていくしかない』とも。誰にどう相談していいのかもわからないときに、監督さんが話してくださって救われました」

 広島に戻った奥浪に練習場所を提供してくれたのが、広島文化学園大学の野球部だった。ここの監督は、かつて広陵(広島)や京都外大西などを率い、甲子園でも活躍した三原新二郎。長澤や奥浪とも親交があった三原が手を差しのべ、オフの月曜日以外はほぼ毎日、野球部の施設を使い練習を積んだ。

「これまで何不自由なく練習できて、いいグラウンドでやるのが当たり前だと思っていたのがこうなってしまって......。施設を探すとか、最初は本当にどうしたらいいのか、わからないときもありました。そもそも、僕がそういう風に頼むこと自体、厚かましいんじゃないかと思うこともありました。でも、いろんな人に支えられて、人のありがたみをこれまで以上に感じました」

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