ドラフト1位の引き際。あの豪腕投手は、なぜ27歳で引退を決めたのか (5ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News


――増渕さんの生命線は力のあるストレートです。それを失ってしまっては、プロ野球では生き残れない......。

増渕 プロのバッター相手にごまかしは効きません。いろいろな人に相談しましたが、自分の感覚の問題なので、どうしようもない。自分自身が変わらない限り、イップスは治らない。つらかったですね。メンタルが原因なので、メンタルトレーニングにも通いました。でもメンタルがよくなっても、「ピッチングの感覚」を取り戻すことがどうしてもできない。僕は、イップスに勝てませんでした。それがなければ、ずっとプロ野球選手でいたかった。

――2014年は一軍登板なし。2015年も一軍のマウンドには立てず......。

増渕 ファイターズから戦力外通告を受けたとき、「仕方がない」と思いました。イップスを治すための努力は、最大限にしてきたつもりです。やることはすべてやったので、悔いはありません。引退するとき、このことにはまったく触れませんでした。理由を話すと、慰めの言葉を送られるかもしれない。そう思うだけでつらかった。だから、一切、口にしませんでした。それも含めて、自分の実力不足なので、そこは割り切っていました。

 引退するとき、どんな選手も何かしらの悔いはあると思います。でも、過去を振り返っても意味がないと思っているので、後悔はありません。僕には、プロ野球で戦う資格がなくなった、それだけです。だから去るしかないと考えました。

――周囲も驚く、潔い引退でした。

増渕 僕は「ピッチングの感覚」が戻らない限り、プロで活躍できないと思いました。いつかは取り戻せると信じて練習に励みましたが、結局、できませんでした。ファイターズで一度も一軍で投げられなかったので、申し訳ないという気持ちはあります。僕のことを考えて、トレードという形でチャンスをつくってくれたスワローズには感謝しています。

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