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ハタケで鍛えたハタケ。異色キャラの
巨人・畠世周がプロ初勝利に挑む (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Jiji photo

「大きなカーブとストレートとの緩急とか......少し(芯を)ずらして打ち取る投球を見て、自分もこういうピッチングをしたいと思って見ていました」

 またドラフト後の取材では、こんな話をしていた。

「一流の選手に対して、その人のかたちでスイングされたら打たれます。大事なのは、チャレンジさせないこと。その人のかたちで振らせないことだと思います」

 ちなみに、小学校から中学校に進学するとき、初めて覚えた変化球はチェンジアップだった。父のアドバイスにより習得したものだが、当時から緩急は常に意識していた。

 畠は広島で生まれ育ち、高校は近大福山。好素材の選手ではあったが、エースナンバーを背負ったのは最後の夏のみ。「『さぁ、行くぞ!』というときに、いつもケガをして......」と振り返った3年間だった。

入学時のスピードは133キロ。その後、チームが所有するスピードガンが壊れ、大会でも勝ち上がれなかったため、最終的な球速は不明。3年春に新庄(広島)高と行なった練習試合で相手チームの選手から「142キロ出てたぞ」と教えられたのが、唯一の数字だった。ちなみに、この試合で投げ合ったのが現チームメイトの田口麗斗(当時2年)。畠はそのときの田口の投球が強く印象に残っているという。

「スピードもありましたけど、いちばんはコントロール。僕は左打ちなんですけど、『外の球がこんなに遠くに感じるのにストライクなのか』って。あのコントロールは本当にすごい。自分とはまったくレベルが違いました」

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