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傷だらけのドラフト1位が、
人気球団の重圧から解放されて思うこと (6ページ目)

  • 取材・文:元永知宏 Text by MOTONAGA TOMOHIRO
  • photo by Kyodo News


──元プロ野球選手といえども、レギュラーが確約されているわけではありません。

「はい。まずはどうやって結果を残すか、どう自分の力をアピールするかを考えました。結果はコントロールできませんが、野球に取り組む姿勢は自分でつくることができます。バッティング練習でもそれ以外の練習でも、ひとつひとつのプレーを全力でやろうと思いました。ノックのときには大きな声を出して、高校球児みたいに泥臭く。フライを打ち上げても一塁まで全力で走りました」

──07年、トヨタ自動車は日本選手権で初優勝。08年には2連覇を達成します。09年の都市対抗では準優勝、的場さんは打率5割で大会優秀選手に選ばれました。10年の日本選手権でも優勝を飾り、的場さんは打撃賞と大会優秀選手に。社会人ベストナインも受賞しました。2011年のIBAF ワールドカップ日本代表にも選出されましたが、2012年のシーズンで現役を引退、社業に専念することになりました。

「ケガで満足にプレーできなかった阪神での6年間、その反省を生かして好成績を残せたトヨタ自動車での7年間。アマチュアで野球人生を終わらせることができて幸せでした。ユニフォームを脱ぐときには、もうお腹いっぱい。完全にやり切りましたね」

■大企業の安定を捨て、再びスポーツを仕事に■

──その後、トヨタ自動車の人事部で2年勤めた的場さんに転機が訪れます。かつて阪神で苦労をともにした仲間からの電話でした。

「広島カープで活躍した喜田剛という後輩がいて、阪神を離れてからも仲良くしていました。喜田が私の気を引くようなことを言うんですよ。『いま、子どもに野球を教える仕事をしているんですけど、楽しいですよ。一緒にやりましょう』って」

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