【高校野球】「やってしまった」 山梨学院・吉田監督が後悔した"日本球界の宝"発言菰田陽生に起きた劇的変化
「じつはずっと、あの発言を後悔していたんです。菰田が2年生で152キロを出して、ちょっと調子に乗って言っちゃったなって」
山梨学院の野球場。バックネット裏の一室で吉田洸二監督はそう打ち明けた。
高校最後の夏に挑む山梨学院・菰田陽生 photo by Takahiro Kikuchiこの記事に関連する写真を見る
【今春のセンバツで左手首付近を骨折】
1年前のセンバツ(選抜高校野球大会)の試合後、吉田監督はお立ち台で教え子の菰田陽生(こもだ・はるき)をこう讃えている。
「菰田は日本球界の宝です」
このフレーズは、その後も菰田を評するうえでついて回った。だが、吉田監督は自身の発言を「やってしまった」と後悔したという。
「その後の菰田を見ていたら、『これくらいの選手なら、いくらでもいるかな』と思ったんです」
菰田は投打二刀流の怪童として、スカウト陣の注目を集めてきた。投手としては、2年春のセンバツで最速152キロをマーク。同年5月の関東大会では、叡明戦で3回2/3を投げて11奪三振の離れ業を演じた。たしかにこの時点では、誰もが認める「日本球界の宝」だった。
しかし、2年夏の甲子園で右ヒジを痛めて以降は、長い停滞へと突入する。打者としては豪快な本塁打を放つシーンも見られたが、投手として消化不良の時期が続いた。
今春のセンバツ初戦、菰田は一塁守備中に走者と交錯して左手首付近を骨折する。登板機会がないまま戦線離脱し、多くのスカウトは「投手・菰田」の真価を測りかねていた。
だが、故障が癒えた今、菰田は新たなフェーズに入ろうとしている。吉田監督は気を取り直すように、こう続けた。
「今までストレートしか試合で通用するボールがなかったのが、休んでいるうちに試合で通用する球種を複数習得して、ピッチャーになって戻ってきた。ケガからの回復力を含め、3度驚かされました」
夏の大会を直前に控え、ほぼ全球団のスカウトが山梨学院の練習試合を視察している。明らかに投手・菰田は進化しつつある。
1 / 4
著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。














