クロマティからの金言。「日本野球よ、もっと個性を。もっとフルスイングを」 (3ページ目)

  • 阿佐智●文・写真 text&photo by Asa Satoshi

「秋山(幸二)はいい選手だった。彼は打つだけじゃなく、守備も足も素晴らしかった。あの頃の西武は本当にいい選手が揃っていたし、強かった。キヨ(清原和博)のニュースも知っているよ。悲しいことだけどね。いずれにしても、彼らはみんなメジャーでもプレーできたはずだよ」

 巨人のバッターについて聞くと、唯一名前が挙がったのが吉村禎章だった。吉村は、クロマティ来日の84年に高卒3年目ながら層の厚い巨人でレギュラーを勝ち取った天才打者。しかし88年シーズン、試合中に大ケガを負い、その後の現役人生の大半をベンチで過ごした。

「彼は本当にいいバッターだった。バッティングセンスが素晴らしかったね」

 ただ、クロマティの印象では、メジャーレベルとなると、打者よりも投手のほうが多かったという。たしかにあの時代、球場は狭く、打者の力量を測るのは難しい。逆に、その"箱庭"と呼ばれた球場で、スラッガーたちを抑え込んだ投手たちは、クロマティの目にも"本物"に映った。

 印象に残った投手について聞くと、自身が苦手としたからだろうか、特に落ちる系のボールを武器としたピッチャーの名を記憶していた。

「大洋(現・DeNA)の遠藤(一彦)、広島の大野(豊)はホントに打ちにくかった。あと広島の若いピッチャー、名前はなんだっけ、サウスポーの......。そうそう川口(和久)だ。彼のストレートは速かったね。とにかく彼らは逃げずに勝負してきたからね。もちろん、ウチの江川(卓)だってメジャー級だよ。あと桑田(真澄)もね。彼らは私の弟みたいなものだよ」

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