谷繁元信が盟友に明かす「引退の経緯と最後に見せた涙のわけ」 (5ページ目)

  • スポルティーバ●構成 text by Sportiva 寺崎敦●取材協力 cooperation by Terasaki Atsushi
  • 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

野村 そりゃ肩も痛くなるよ。野球選手で一番ボールを投げているのはキャッチャーだからね。特にシゲは3021試合という誰よりも試合に出場した選手ですよ。試合数の記録更新はモチベーションにはなった?

谷繁 そうですね。最後は試合数の記録更新というひとつの目標がありましたから。それを超えた時点で終わろうとなりましたね。

野村 しかし……3021試合出場って改めてすごい数字だよね。しかもキャッチャーでこの記録だからね。この先、誰も更新できないんじゃないかな。

谷繁 いや、それまで記録を持っていた野村克也さんもそうでしたけど、この記録はキャッチャーだからできたのだと思います。足に負担の大きいショートやセカンドができるかといったら、やっぱりキツイですからね。

野村 まぁでも今はどこの球団を見ても、シゲみたいな正捕手っていう存在がなかなか出てこない状況だからね。この記録を抜くことは難しいだろうね。

谷繁 抜いてほしいですけどね。僕が死ぬまでには抜いてほしいな。年間160試合ぐらいになれば可能性があるかも。

野村 でも今は本当にキャッチャーが育ちにくいよね。

谷繁 僕もアマチュアの指導者の方たちからいろいろ話を聞くんですけど、やっぱり学生時代からちゃんとしたキャッチャーの教育を受けていないことが大きいと思います。

野村 あと、キャッチャーはやはり体が丈夫であること。遊び場が少ない今の子どもが育つ環境もあると思うんですよね。

谷繁 だから、すべてのそういうものが僕の場合はうまく働いたからここまでこられたんだと思うんですよね。僕は田舎育ちで、毎日のように自転車で駆けずり回り、夏になったら川で流れに逆らって泳いで。冬になったら毎日、山に行ってミニスキーをやっていました。

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