DeNA山﨑康晃に「考える力」を与えた7年間の猛練習 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 もちろん練習は厳しかったが、それ以上に厳しさを感じたのは、競争の激しさだ。何しろ山﨑の2年時には、140キロ以上の速球を投げられる投手がなんと7人もいた。同期には1年夏に最速145キロをマークして華々しいデビューを飾った鈴木昇太がおり、1学年下には「怪物」と呼ばれた伊藤拓郎(現群馬ダイヤモンドペガサス)がいた。投手陣は7~8人のレギュラークラスで固まって練習するため、まずそのメンバーに入るという競争があった。

「そのクラスに入れないと、グラウンドの外に立って見ていないといけません。とにかく何かでアピールして、あの中に入りたいと思っていました」

 帝京野球部の夏休み練習は、長い一日になる。朝9時頃から夕方18時頃まで全体練習があり、その後も自主練習が続く。しかし、暑さのピークである昼の時間帯は、2時間も休憩時間がある。そこには、「倒れたら終わり」という前田監督の配慮があった。ところが、山﨑はこの時間帯が憂鬱で仕方がなかったという。

「この間に弁当を食べなければいけないので......。『3合飯』を食べられなくて、僕にとっては苦痛でしょうがなかったですね。練習が始まって昼のことを考えるだけで憂鬱になって、昼休憩後にお腹いっぱいなのに動かなければならないのも憂鬱で......。監督から『食べないと、本当に(試合に)出さないからな』と言われて、タッパーをチェックされていました」

 体づくりにも力を入れる帝京は、3合分の白米をタッパーに入れて食べる「3合飯」という慣習がある。食の細かった山﨑にとって、この3合飯は練習よりもキツイ、夏の難関だった。

「それでも、この厳しさがあったからこそ、ガムシャラにできたのかなと思います」

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