【プロ野球】東野峻「子どもが物心つくまでユニフォームは脱げない」 (2ページ目)

  • 石塚隆●文 text by Ishizuka Takashi
  • 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

 家族のために引退するべきか、ひとり悶々と悩む東野に対し、背中を押したのは、やはり妻の一言だった。

「野球が好きならやりなさいよ」

 これで完全に吹っ切れた。

 11月9日、静岡・草薙球場で行なわれたトライアウトのマウンドに東野の姿はあった。スタンドから出産を控えた身重の妻と長男、長女が見守っている。145キロのストレートを軸に、キレのあるスライダーとフォークで組み立て、打者4人から2三振を奪う圧巻の投球を披露した。

「これが最後かもしれないという気持ちで投げました。わずかな時間だったのに投げ終わったあと、あんなに疲れたのは初めてでした。いい球がいったのは今年1年の成果だったと思います。ずっとファーム暮らしだったけど、フェニックスリーグに最後まで参加して、常に危機感を持ちながらやってきましたからね。なぜ腐らなかったのか? トレードされたときは元巨人というプライドがちょっとあったんですけど、今年はそれを捨てることができた。あと八木智哉さんの存在が大きかったですね」
八木智哉...創価大から2005年ドラフトで希望枠として日本ハムに入団し、1年目に12勝を挙げ新人王を獲得。13年にトレードでオリックスに移籍。来季から中日でプレイする。

 八木は東野と同じ時期に日本ハムからオリックスへ移籍したが、結果を出すことができず東野と同時期に戦力外通告を受けている。よく似た境遇のふたりだった。

「八木さんとはこの2年間ファームでずっと一緒だったんですよ。すごく意識の高い人で、僕が下を向いていると『ダメだよ。前を向いていこうぜ!』っていつも励ましてくれたんです。心が折れそうになっても絶対に諦めるなって。たぶん八木さんがいなかったら腐っていたと思います」

 投球後、マスコミの囲み取材を終えロッカー室に戻ると、寒い時期だというのに汗がとめどなく噴き出した。ふと携帯電話を見ると、見知らぬ番号の着信履歴があり、留守番電話が残っている。着信の時間は午後1時35分。東野の登板が終わったのが午後1時30分頃だったので、時を置かずに電話がかかってきたことになる。留守番電話の主は、横浜DeNAベイスターズ編成部長の吉田孝司だった。吉田は巨人時代にスカウト部長を務めており、東野も良く知る人物だった。

 他の選手たちに気を使った東野は、ロッカー室を出て球場の片隅に行くと吉田に連絡した。

「うちに来ないか」

 東野はふたつ返事で快諾した。

「よろしくお願いします」

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