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三浦大輔「高校の野球部に浅倉南がいるものだと思ってた」 (2ページ目)

  • スポルティーバ●構成 text by Sportiva
  • photo by(C)YOKOHAMA DeNA BAYSTARS

―― 実際はどうだったのですか。

「現実は......厳しかったですね(笑)。達也と南ちゃんのような高校生活に憧れていたのですが、高校3年間、マネージャーと恋に発展することはなかったですね。でも、マネージャーはみんないい人ばかりで、洗濯をしてくれたり、ボールの糸を縫ってくれたり、本当にお世話になりました」

―― 三浦選手はどんな高校生活を描いていたのですか。

「奈良の高田商業という高校に通っていたのですが、入学式までどんな学校なのかまったく知りませんでした。その高校に進んだ理由は、僕が所属していたシニアのコーチと高田商の監督が仲良しで、シニアの2つ上の先輩がいたからなんです。だから商業高校がどんな勉強をするのかも知らなかったですし、なにより女生徒があんないっぱいいるとは思ってもみませんでした。1クラス50人ぐらいだったと思うのですが、男子生徒は10人いるかどうか。それなのに......南ちゃんはいなかったですね(笑)。こんなことを言ったら、また怒られますね。でも、ウチの嫁は高校の2つ上の先輩で、陸上部だったんです。ただ、交際したのは僕がプロに入ってからで、高校時代はあいさつ程度しか言葉を交わしていませんでした」

―― 『タッチ』は、亡くなった和也の兄・達也が弟の意思を継ぎ、幼なじみで同級生の浅倉南を甲子園に連れていくというストーリーですが、三浦選手は誰かを甲子園に連れていきたいと思ったことはありましたか。

「そういうのに憧れはありましたけど、僕は自分のためにというか、あのマウンドに立ちたいという一心でした。ただ、高校1年の時に野球部を辞める、辞めないでもめて、3カ月ほど休部したことがあるんです。その時にチームメイトをはじめ、いろんな人が頑張ってくれて、僕を再び野球の道に戻してくれた。だから、そういう人たちに恩返しできればという気持ちはありました。とにかく当時の奈良は天理高校を倒さないと甲子園に行けなかったので、"打倒・天理"だけを目標に頑張っていましたね。それで高校3年の夏に奈良大会決勝で天理と激突したのですが、負けてしまいました。負けた時は悔しくて涙が止まりませんでしたが、表彰式の時はすがすがしい気持ちでした。自分の中でやり切った感はありましたね」

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