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職人たちが作り出す甲子園「もうひとつのドラマ」 (2ページ目)

  • 高森勇旗●文 text by Takamori Yuki
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

 実際にフィールドでプレイする選手からの意見に耳を傾け、その日の気象条件などを計算しながらグラウンドを作る金沢氏。しかし、それだけで終わらないのが甲子園の面白さである。その時代のチーム事情によってもグラウンドは変化するのだ。

「あれは2003年ですね。当時の内野守備走塁コーチだった岡田(布彰)さんから、『一塁ランナーがスタートを切る5~6mを硬くしてくれ』と要望がありました。理由は、赤星(憲広)が盗塁をしやすいようにです。それに対して赤星は、『一塁手が守りにくくなる』という理由でこれを断っていたんです。でも、当時のタイガースの一塁手はアリアスで、2005年からシーツと、守備のうまい選手が守っていました。守備力が高い彼らなら対応することができると判断して、実現しました。目に見えて硬いとわかるぐらい、硬かったですよ」

 毎日同じように甲子園も、時代、選手、チーム、天候によって、まるで生き物のごとく変化しているのである。

 現在、プロ野球の本拠地は12球団中10球団が人工芝を採用している。人工芝はイレギュラーが少ないため、エラーをするリスクは減る。逆に、土のグラウンドは打球が変化することも多く、エラーのリスクは高いと言われている。にもかかわらず、2013年、鳥谷は144試合に出場してエラーはたった4つ。それに2005年には関本賢太郎が二塁手として連続守備機会無失策(804機会)というセ・リーグ記録を打ち立てた。守備の記録が甲子園から生まれるというのは、グラウンド整備の賜物といっても過言ではない。そのことを金沢氏に向けると、表情を変えることなく、淡々と語った。

「そういう守備の賞や記録が、ここ(甲子園)から出るというのは素直に嬉しいですよね。まぁ、選手のプレイの邪魔をしていない、ということですから」

 邪魔をしない――という表現に終始した金沢氏は、取材中、どんな質問をしても謙虚な姿勢を崩すことがなかった。おごり高ぶることのないその姿勢は、まさに"職人"の雰囲気をまとっていた。

 そんな職人と甲子園球場は、浅からぬ縁でつながっている。金沢氏は高校を卒業して2年間はサラリーマンとして働くも、20歳の時に阪神園芸に転職。時はバブル真っ只中。仕事も順調にこなしていたにもかかわらず、なぜ金沢氏は甲子園にやって来たのか。

「小さい頃から、母親が甲子園に務めていた関係でよく来ていたんです。高校生の時も、グラウンド整備やスコアボードのアルバイトなどで、何度も甲子園に来ていました。高校を出てサラリーマンになった時は、仕事も忙しくてやる気もやりがいもあったんです。そんな中で、甲子園から求人募集が来た。直感で"縁"やなと感じたんです。何より、甲子園への思いというのが捨てきれんかったんでしょうね」

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