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ロッテ・石川歩は大学時代、自らの才能に気づいていなかった (2ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 中部大学4年の石川を訪れたのは、今から4年前の2010年の春だったと思う。私自身を取材したいというあるテレビ局からの依頼があり、その中で「流しのブルペンキャッチャー」の取材風景を撮影したいということになった。誰の球を受けようかと迷っていたが、ひとり受けてみたい投手がいた。それが、前年の秋、リーグ戦で147キロを出したと聞いていた石川だった。当時の善久裕司監督(現・総監督)が私と同じ早稲田大学野球部OBということもあり、話はスムーズに進んだ。

 取材当日は、とても寒い日だったのを覚えている。途中でみぞれまじりの雨になった。

「石川は富山県出身(滑川高校)ですから、これぐらいなら暖かいと思いますよ」

 そう笑いながら、善久監督がいい雰囲気を作ってくれた。

 目の前に現れた石川は、色白痩身、ポーカーフェイスというよりは無表情。「嫌なのかな......」と心配したが、いざブルペンに入ってからがすごかった。

 美しいオーバーハンド。しなやかな腕の振りとよく言うが、細長い右腕を振り下ろすと、そのままこっちまで伸びてきそうな、そんな感覚だった。

 球持ちの良さ、角度、さらにコントロールとすべてを兼ね備えていた。寒い中でのピッチングでも石川に投げミスはなかった。

 スピードで注目され、突然メディアから騒がれる投手は、たいていボールが暴れる。しかし、石川は見事にその評価を覆(くつがえ)した。

 善久監督がスピードガンを構えた。その瞬間、石川の口が「オッ」と言ったのを覚えている。そしていきなりの144キロ。シュート回転の快速球が右打者の胸元あたりにおさまった。

「試合で投げろや、こういうの......」

 私のうしろで善久監督がつぶやいたのも、はっきりと覚えている。

 高めも伸びるが、低めも伸びる。空気を切り裂くようなボール。最近あまり耳にしなくなった表現だが、石川のボールはまさにこれだった。

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