2013.12.25

沢村賞投手・斉藤和巳
「もうボールを握りたくないほど、野球をやり切った」

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • 繁昌良司●写真 photo by Hanjo Ryoji

斉藤和巳インタビュー(1)

さいとう・かずみ/1977年11月30日、京都府生まれ。南京都高から95年ドラフトでダイエー(現ソフトバンク)から1位指名を受け入団。プロ8年目の03年、20勝(3敗)を挙げ、最多勝、沢村賞など数々のタイトルを獲得。日本一にも貢献した。06年にも18勝をマークし、二度目の最多勝、沢村賞に輝いた。その後は右肩のケガに苦しみ、11年からリハビリ担当コーチとして復帰を目指していたが、今シーズンで引退を決意した。通算成績は150試合に登板し、79勝23敗。防御率3.33。最多勝(2回)、沢村賞(2回)、最優秀防御率(2回)など数々のタイトルを獲得した。

 ほんの数年前、プロ野球は間違いなく「斉藤和巳の時代」だった。2003年に20勝(3敗)を挙げて沢村賞に輝きチームを日本一に導くと、2005年には開幕から15連勝をマーク。2003年にも先発として16連勝を記録しており、先発で2度の15連勝をマークしたのは斉藤ただひとりである。2006年は18勝5敗、防御率1.75の成績で史上11人目の投手四冠(最多勝、勝率.783、防御率、奪三振205)を達成した。この年2度目の沢村賞を受賞。当時の西武のエースだった松坂大輔を寄せつけず、まだ若手だった日本ハムのダルビッシュ有が敬意を持って意識していたのが斉藤だった。そしてまだプロ入り前の田中将大も斉藤に憧れの眼差しを送っていた。だがその後、右肩を故障。6年もの間リハビリを続けたが復帰を断念し、今季限りでソフトバンクを退団。18年間のプロ野球人生にピリオドを打った。「ケガに始まりケガで終わった野球人生だった」と本人が言うように、3度の手術を行ない、手術痕は計17カ所も残っている。これだけの才能を持ちながら、ケガに泣かされたのは悲劇としか言いようがない。しかし、斉藤は7月28日の退団会見の中で「ピッチャーで良かった」と語り、さらに9月28日にヤフオクドームで行なわれた引退セレモニーでは満員のファンの前で「ケガをして良かったと思います」とはっきりと言い切った。その真意は何なのか? あらためて18年のプロ野球人生を振り返ってもらった。

「ピッチャーで良かった」というのは、感情がそのまま出た言葉でした。若い時には野手転向の話もありましたし、実際に外野手として二軍の公式戦にも出ましたから。でも、野手に転向したからといって成功できるというほど甘くないのは分かっていましたし、何よりもピッチャーをやりたかった。だから最初の手術を受けたんです。その後、結果を残すことが出来て、良い思いをさせてもらいました。最後はまたケガをしたけれど、だからこそ色々な発見もありました。しんどかったけど、何事にもかえ難い経験をさせてもらいました。ピッチャーでなければ、こんな苦しみも喜びもなかった。

 確かに、若干の負け惜しみもどこかにあるかもしれないですね(笑)。男として、こういうことを言って終わりたいと思ったのかも。でも、あの会見の時はそんなこと考える余裕なんてなかったですよ。