【プロ野球】英智×小田幸平が語る「オレたちのドラゴンズ愛」 (4ページ目)
小田 それだけは一回も思ったことなかった。本当にやめるまで、あの遠投が終わって、引っ込むまで、そう思いたくはなかったし、思わなかった。だって、ヒデがまだ走れるとか、放れるとか、全部知ってるし、絶対にまだまだできるという気持ちはあったからね。信じたくなかったというのもあるけど、これからどうするっていう話も全然せんかった。
英智 幸平、電話かけてこなかったもんな。
小田 ヒデが電話してくるまで、オレは待っておこうと。本当は電話したい気持ちもあったけど、しなかった。戦力外通告を受けるって話は知ってたけど、ヒデから言ってくるまでは黙っておこうと思って……。オレは信じたくなかったから。ヒデがやめるとか、中日を去るとか、そういう言葉は聞きたくなかったね。
英智 戦力外……戦力外って、やな言葉だなぁ(苦笑)。でも僕のような選手には、いつかその日は来るからね。『ご苦労さん』と言われて、肩を叩かれた。その瞬間、『あーあ、ついに来たかぁ』という感じ。ハンカチ落としの感じによく似てる(笑)。
小田 うまいこと言うよな。
英智 選手として残っていたら、いつかは落とされるものだしね。14年目にして、これまで育ててもらって、憧れだった球団にハンカチを落とされて、『ああ、どうしよう』ともがくんじゃなしに、『ああ、落とされたんだ』って受け止めることができた。ほら、ハンカチ落としって、好きな女の子に落とされたら、ちょっと嬉しかったりするじゃないですか。好意がないと、落としてくれないでしょ。寂しいし、切ないけど、ちょっと嬉しい、みたいな(笑)。小さい時から本当に憧れだったドラゴンズですからね。現役の時は、いつも一番いい席でドラゴンズの試合を見せてもらった。憧れのドラゴンズの選手のプレイを間近で見せてもらって、しかもコーチの打診までしていただいて……光栄だし、でも悲しいし、ホント、ハンカチ落としでハンカチを落とされた心境だったね。
小田 ヒデは小さい頃から中日ファンだし。
英智 初めて行ったのはナゴヤ球場。ライトは彦野(利勝)さんが守ってたかな。あとはゲーリーとか、ピッチャーだと上原さんという中継ぎのピッチャーを覚えてる。
小田 上原さん、おったね。沖縄水産の……上原晃。
英智 あとは仁村薫、徹兄弟。
小田 オレは阪神ファンやったから、何かご褒美がもらえるとなれば、甲子園に連れていってもらったね。妹が行きたがるから『ちょっと、お父ちゃんと病院に行ってくるわ』とか言って(苦笑)。学校が終わってすぐとか、土日とか、電車に乗って……バース、掛布、岡田の時代。
英智 何戦?
小田 山陽本線。
英智 その線を答えてどうすんの(笑)。どこが相手だったのって話?
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