【プロ野球】吉井理人が語る、ダルビッシュがメジャーで苦しんだ理由 (2ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

―― 一方で、先発にはダルビッシュという大黒柱がいました。吉井さんがコーチに就任される前年(2007年)に15勝(5敗)を挙げてリーグ制覇に貢献し、沢村賞のタイトルも獲っています。当時のダルビッシュ投手は、すでに頭ひとつ抜けた存在だったのですか。

「いえいえ、投手としてはまだまだでしたよ。僕の前に投手コーチをやられていた佐藤(義則)さんから教わったことを懸命に取り組んでいました。そのひとつが投球パターンの確立でした。つまり、絶対に三振が取れる必殺パターンの確立です。ピンチの時、いちばん安全にアウトを取れるのが三振です。当時もかなりの確率で三振を取ることはできていたのですが、もっと確実に三振を取るためにボールの精度を上げ、配球の研究をしていましたね」

―― 実際、吉井さんがコーチになられてからダルビッシュ投手に変化はありましたか。

「ストレートの勢いだとか、変化球のキレはもちろんなのですが、気持ちの部分での成長が最も変わったところですね。それまでは打たれたり、調子が悪かったりするとすぐに顔に出ていたんですが、歳を重ねるごとに表情を変えず投げられるようになってきました。常にマウンドでは堂々としていて、まさにエースの風格が出てきましたよね」

―― ダルビッシュ投手に関して、吉井さんは何か指導されることはありましたか。

「ダルビッシュの場合は、佐藤さんがきっちり教えてきたと思いますので、僕はただ見守るだけでした。たまにダルビッシュから、『ここを意識して見ておいてください』と言われることはありましたが、僕から『ああしろ、こうしろ』というのはなかったですね。言わなくてもすべて自分で考えて、しっかりやっていました。ダルビッシュを見ていると、口に出さなくてもどんなことに取り組んでいるのか、わかることが多かったですよ」

―― そのダルビッシュ投手ですが、今季からメジャーに行かれました。テレビで見ていて、何か変わったなと思うことはありましたか。

「オープン戦の後半ぐらいだったかな......。ボールを動かそうとしすぎていたのか、フォームが乱れているなと。特に、ツーシームを動かそうとしすぎていたように感じました。腕も横振りになっていたし、体の開きも早かった。そうなると球の出どころが見やすくなり、バッターに見極められるケースが多くなる。それが苦しんだ原因のひとつだったと思います」

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