【プロ野球】金村義明が語る
「金本知憲は最高の人間、最強の選手だった」 (2ページ目)
今でも忘れられないのは、手首を骨折しながらも試合に出続けて、なおかつ活躍していたことです。僕も手首を骨折した経験があるからわかるんですけど、よくあの痛みを我慢できたなと。本人は「骨折していようが、自分がケガじゃないと思ったら、それはケガじゃない」と言っていましたけど、まったく信じられないのひと言です。
でも、そうした姿勢は間違いなく阪神を変えましたよね。2003年にFAで広島から阪神に移籍してきましたが、それまでの阪神というチームは万年Bクラスで、どこか負け犬根性が染みついているところがありました。ところが金本は試合が終わってからでも黙々とバットを振り続けている。チームでいちばん結果を残している選手がそれだけの練習をするんですから、他の選手は先に帰ることはできない。それに試合でも自己犠牲をいとわないバッティングや全力疾走を貫き、プロ意識というのを見せつけた。それから選手たちの意識も変わってきて、毎年のように優勝争いをする強いタイガースに生まれ変わった。その象徴が金本でした。だから今回の引退で、強かったタイガースのひとつの時代が終わったような気がします。
ただ、金本が野球人として歩んできた軌跡は色褪せることはありません。それに、この先、野球のうまい選手、すごいホームランを打つ選手は何人も出てくると思うのですが、1492試合連続フルイニング出場の記録を抜く選手は絶対に出てこないと思います。この記録だけは真似しようとしてもできない、本当にすごい記録です。
連続フルイニング出場の世界記録を達成した時、僕も偉業達成と金本への尊敬の意味も込めて高価なお酒を贈らせてもらいました。あとから来た請求書の金額を見て腰が抜けそうになりましたが(笑)、野球界のOBからも尊敬される数少ない選手です。僕の中では間違いなくナンバーワン。選手としても最強だし、人間としても最高。ものすごく明るいですし、仲間を大事にするんですよね。本当の意味で「アニキ」でしたね。
引退することは寂しいですけど、今は「お疲れさん」という言葉しか浮かんでこないですね。ここ数年はケガもあったし、成績も良くなかった。肉体的にも精神的にもいっぱいいっぱいのところで勝負していたと思うんです。とにかく体を休めて、それから次のことをゆっくり考えてほしいと思います。まあ、金本には野球への情熱とあの明るい性格があるので、何でもできると思いますが、いずれは指導者として「第二の金本知憲」を育ててほしいですね。
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