【プロ野球】原点は「弟と妹のために」。心優しき快腕・吉見一起 (2ページ目)
「アベサンですよね?」
後ろから言われて、びっくりして振り向いた。
あれは2005年の都市対抗だったか、秋の日本選手権だったか......。試合前のダグアウト裏で、声をかけてくれたのが吉見だった。当時、彼はトヨタ自動車の3年目。右ヒジの手術を乗り越えて、エース格として奮投していた。当然、ドラフト1位の有力候補に上っていた。
「ずいぶん立派になったなぁ......」と話したら、「アベサンのおかげですよ」と、そういう言われ方をされて、戸惑った。
「高校の時に、僕のボールをアベサンが受けに来てくれて、それで僕のコントロールのこと、すごく大事に書いてくれたやないですか。あれで僕のやってきたこと、間違ってへんって思えたんです。ホンマのこと言うと、内心やっぱり140キロ欲しくて......。でも、あの記事読んで、『いや、絶対間違えてへん。オレはコントロールや』って。おかげで、道、間違えんで、なんとかここまで」
吉見がまもなく金光大阪の3年生になる2月。
『野球小僧』(白夜書房)の企画「流しのブルペンキャッチャー」で彼の取材に行った。
灰色の雪雲が低く垂れ込め、ひどく底冷えのする日だった。そんなコンディションの中で、吉見は35球投げて、はっきり抜けたボールは内外角にわずかひとつずつ。
ほぼオールストライク、そしてほぼオールローボールだった。
「コントロールを見てほしいんです」
確信のある強い口調だった。
「コースじゃないんです。出し入れを見てほしい」
「ボール半分、外せる?」といじわるな質問をしたら、「ボール1個なら外せます!」と、 きっぱりと言いきられてしまった。
「僕、投げる時に見る場所があるんです。まずチラッとミットの位置を見て、そのままじっと見てると目の焦点がグラグラするんで、いったんプレートに乗ってる右足のつま先あたりをフッと見る。で、振りかぶったら、もう一度ミットの位置を確かめて、左足を上げる時に、もう一瞬、右足のそのあたりを見て」
こうすればうまくいく。
自分の「オリジナル」を持っていた。
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