【プロ野球】小久保裕紀、2000本安打達成までの「サムライ秘話」 (2ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • 繁昌良司●写真 photo by Hanjo Ryoji

「でも、あの出来事があったから今の自分がある。体のことを学び、トレーニング方法や食事の面まで全てを見直した。下半身も改めて鍛え直しました。だから、巨人に移籍した1年目にあのような成績を残すことができたのだと思います。自分に降りかかっていることは決して無駄なことじゃない。いつもそう思っています」

 決してどんな逆境にも下を向くことはない。また、メスを入れないケガも多数あった。昨季は開幕戦で右手親指を骨折。それでも、わずか10日間で一軍復帰をし、その初戦でサヨナラヒットを放った。

 そして、この区切りの一打も同様だった。今季も開幕前から腰に不安を抱えたままプレイしてきたが、2000本安打に王手をかけた5月22日に「痛みの種類が変わった」と、真っ直ぐ立って歩くことすら出来ないほどの状態に陥った。とても野球どころじゃない。しかし、翌23日の試合も「6番・一塁手」でスタメン出場して4打席に立った。

「王手をかけた試合の後に、球場のチケット売り場にすごい行列ができたと聞いていた。朝、試合に出ることを決めて球場には来た」

 小久保の「プロ」としての自覚は誰よりも強い。他にもこんなエピソードがある。

 小久保といえば美しいフォロースルーの打撃フォームが特徴的。2000本安打の記念プレートにも、三塁側から見た、バットを放り投げるシルエットを模したマークがあった。球団関係者によれば、「小久保は学生時代から『美しい打撃フォーム』を研究して、鏡の前でひとり練習をしていたらしい。『見られる』ことを当時から意識していたそうだよ」と話す。

 また、取材で着用した私服には二度と袖を通すことはない。「プロ野球選手は多くの人に夢を与えるもの。何度も同じ洋服を着ているのを見たら、『コイツ、いい給料もらっているはずなのに、服も持ってないのか』と思われる」という持論があるのだ。

 プロ魂で強行出場した試合は残念ながらノーヒットに終わった。その後、「異質」の腰痛が椎間板ヘルニアであることが判明し登録抹消。阪神の城島健司が先ごろ椎間板ヘルニアの手術をして必死のリハビリを行なっていることからもわかるように、症状の重さは想像に難くない。しかし、小久保はおよそ1カ月で帰ってきた。

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