【MLB日本人選手列伝】岩村明憲はタンパベイで銅像にもなった 日本人リーダーとしての刻印 (2ページ目)
【優れたコミュニケーション力と選手としての適応力】
岩村に関して特筆されて然るべき点は、英語が母国語ではない日本人ながらチームリーダーとしての地位を確立したことだろう。チームが不振に陥った際、景気づけとして岩村の髪型を真似てチーム内に"モヒカンブーム"が起こったことは、大きな話題になった。クリフ・フロイドが「アキはコミュニケーションが上手だね」と評すれば、ホルヘ・カントゥは「彼といい関係を築いている選手は僕のほかにも多いはずだ」と話すなど、そのコミュニケーション能力に舌を巻いたベテラン選手は枚挙にいとまがない。
当時、正遊撃手を務めていたジェイソン・バートレットも岩村と仲がよくなった選手のひとり。岩村との二遊間コンビは2008年からだが、「適応は簡単だったよ。アキは運動能力が優れているからどこでも守れるし、僕たちはよく一緒に食事に行くくらい仲がいいからね」と笑顔で語っていたのが印象深い。頻繁にチームを救った「イワーレット(息のあった岩村とバートレットを併せた造語/タンパベイ地元紙記者談)」の連係プレーは、そのケミストリーゆえに生まれたものだった。
名将ジョー・マドン監督が標榜する細かなベースボールに、岩村はよくフィットした。ただ、岩村はもともとNPB時代の2004〜06年には3年連続30本塁打以上のパワーヒッターだったことを忘れてはならない。メジャーではリードオフマン、つなぎ役としてこれだけの実績を残せたのは、その適応能力があればこそ。新天地に自らを合わせる柔軟性を持っていたがゆえ、フィールド上でも、フィールド外でも躍進チームのリーダーになることが可能になったのだろう。
だが、好事魔多し。岩村は3年目の2009年5月、守備中に左膝前十字靭帯断裂の大ケガを負った。翌年以降はピッツバーグ・パイレーツ、オークランド・アスレチックスと移籍するも、やはり故障が響いたか、2度とメジャーでの最初の2年間の輝きを取り戻すことはなかった。
ただ、たとえそうだとしても、特にタンパのファンは"アキ"の存在を忘れることはない。トロピカーナ・フィールドの銅像を目にし、あの伝説的な2008年に想いを馳せるたびに、溌剌(はつらつ)としたプレーが売り物だった日本人リーダーのことを好意的に思い出すに違いない。
【Profile】いわむら・あきのり/1979年2月9日、愛媛県出身。宇和島東高(愛媛)。1996年NPBドラフト2位(ヤクルト)。2006年12月にポスティングシステムによりレイズと契約。
●NPB所属歴(13年):ヤクルト(1998〜2006)―東北楽天(2011〜12)―東京ヤクルト(2013〜14)
●NPB通算成績:1194試合出場/打率.290/1172安打/193本塁打/615打点/67盗塁/出塁率.358/長打率.494
●MLB所属歴(4年):タンパベイ・レイズ(2007〜09/ア)―ピッツバーグ・パイレーツ(2010/ナ)―オークランド・アスレチックス(2010/ア) *ア=アメリカン・リーグ、ナ=ナショナル・リーグ
●MLB通算成績:レギュラーシーズン=408試合出場/打率.267/413安打/16本塁打/117打点/32盗塁/出塁率.360/長打率.462 プレーオフ(1年)=16試合出場/打率.273/18安打/1本塁打/5打点/出塁率.342/長打率.409(2008)
●日本代表歴:2006年WBC(優勝)、2009年WBC(優勝)
著者プロフィール
杉浦大介 (すぎうら・だいすけ)
すぎうら・だいすけ 東京都生まれ。高校球児からアマチュアボクサーを経て大学卒業と同時に渡米。ニューヨークでフリーライターになる。現在はNBA、MLB、NFL、ボクシングなどを中心に精力的に取材活動を行なう
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