プロ野球界にも広がるチャリティの輪 ロベルト・クレメンテが遺した「差し伸べる手」の教え (4ページ目)
この連載を終えるにあたり、ひとりの新米走者に向けてメッセージを送りたい。クレメンテのホームチームであるパイレーツに所属するプロスペクト、トニ・ブランコ・ジュニアである。
名古屋のマンションを訪れるたびに、リビングを裸で走り回っていた君は、いまや将来を嘱望される選手へと成長した。慈愛の象徴であり、チームのアイコンでもあるクレメンテ。そしてなによりも、バファローズ時代のチームメイトをかばい、自らが犠牲となった父、トニ・ブランコ・シニア。君は、その誇るべきふたりから、善意のバトンを両の手で確かに受け取っている。
君のバトンはどんな色に染まるのか。父の友人のひとりとして見届けたい。
おわり
ロベルト・クレメンテ/1934年8月18日生まれ、プエルトリコ出身。55年にピッツバーグ・パイレーツでメジャーデビューを果たし、以降18年間同球団一筋でプレー。抜群の打撃技術と守備力を誇り、首位打者4回、ゴールドグラブ賞12回を受賞。71年にはワールドシリーズMVPにも輝いた。また社会貢献活動にも力を注ぎ、ラテン系や貧困層の若者への支援に積極的に取り組んだ。72年12月、ニカラグア地震の被災者を支援する物資を届けるため、チャーター機に乗っていたが、同機が墜落し、命を落とした
著者プロフィール
加藤 潤 (かとう・じゅん)
1974年生まれ。東京都出身。中日ドラゴンズ通訳。北海道日本ハムファイターズで通訳、広報、寮長に就いたのち、2011年から現職。シーズン中は本業をこなしながら、オフには海外渡航。90ヶ国を訪問。稀に文章を執筆。過去にはスポーツナビ、中日新聞、朝日新聞デジタル版に寄稿。またコロンビアのTV局、テレメデジンとテレアンティオキアに話題を提供。現地に赴き取材を受ける
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