西田陸浮のMLBドラフト指名に東北高校時代の恩師は「野球でアメリカに行くと言っていたら止めていた」 (2ページ目)

  • 安部昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • photo by AP/アフロ

【100%驚きでしかない】

 東北高3年の夏は、それまでの二塁、三塁から一塁にコンバート。3番を打って、宮城県大会決勝まで進んだが、仙台育英に10対15で敗れて高校野球生活を終えた。

「『将来、経営者になりたいからアメリカに語学留学したいです』って言うんですよ。英語力の足りないところを補うために、英会話スクールにも通っているということで、『おお、それなら頑張れ!』って送り出したんです」

 野球は自分の楽しみとして続けるくらいだと思っていたという。

「最初から『メジャー目指します!』なんて勇ましいことを言われていたら、『ちょっと待ちなよ』って止めていましたね、間違いなく」

 小柄な体躯、プレースタイル......選手としての「アメリカ進出」は、とてもイメージできなかったという。

「向こうで、西田が野球で頑張っているという話は、彼の同級生たちから聞いていました。でも、まさかここまでだったとは......彼には申し訳ないですけど、100%驚きでしかなかったですね。逆に、『アメリカで新しい会社、立ち上げました!』っていう報せだったら、あいつらしいなと思いましたけど(笑)」

 西田が指名された「ドラフト11巡目」というのは、20巡目まで指名が続くと言われるMLBドラフトでは「中位」という評価になろう。日本のドラフトで言えば、4位から5位指名に値する。それに見合う実力があると、ホワイトソックスが認めたということだ。

「西田自身が努力して、ここまで道を拓いたのですから、納得するまで頑張ってほしいですね」

 教え子の想像以上の台頭に、高校3年間を導いた者の胸も躍る。

「そういえば......」と、我妻氏が思い出したかのように口にした。

「2年生の新チームになった時、キャプテンはこちらで決めたんですけど、『副キャプテンは西田にしてくれ!』って、同級生たちが言ってきたんですよ。さっきも言いましたけど、彼らの代は部員が多かったですから、よほど信頼されているんだなと......。私にはヤンチャなイメージしかなかったものですから、監督の目には見えてない部分が、一緒にやっている選手にはよく見えていた。私も勉強になりましたね、あの時は」

 人のどんなところに才能が潜んでいるのかわからないものだ。切り拓くのは、自分自身の発想と努力を継続できる忍耐力。若いうちから高をくくってはいけないのだと、あらためてそんな思いにさせられた今回の「ビッグサプライズ」である。

著者プロフィール

  • 安倍昌彦

    安倍昌彦 (あべ・まさひこ)

    1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。

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