イチローの天敵も、幻の完全試合男も。去りゆくメジャーの名選手 (2ページ目)

  • 福島良一●解説 analysis by Fukushima Yoshikazu  photo by AFLO

 当時のイチロー選手はハドソンについて、「ほとんど高めにボールのこない投手」と絶賛していました。長年戦い続けた者同士として、相手をリスペクトしていたと思います。メジャーの舞台で初めて対戦したピッチャーだったので、イチロー選手にとっても特別な存在だったのではないでしょうか。

 ハドソンのアスレチックス時代、マーク・マルダーとともに「若き先発3本柱」と言われていたのが、左腕のバリー・ジートです。そのジートも今年で37歳となり、ユニフォームを脱ぐことになりました。

 1999年にドラフト1巡目(全体9位)でアスレチックスに入団したジートは、翌年には早々にメジャーデビューを果たし、アスレチックスのエーストリオ"ビッグ3"の一角として注目を集めました。2002年には自己最多の23勝をマークし、サイ・ヤング賞を受賞。2007年には当時の投手としては史上最高額となる7年総額1億2600万ドル(約150億円)でジャイアンツに移籍し、2013年まで7年間プレーしました。2014年は休養し、今年古巣のアスレチックスに復帰しましたが、10月19日に現役引退を表明。メジャー15年間で通算165勝(143敗)を記録しています。

 ジートの最大の武器は、大きなカーブでした。全盛期はメジャー有数のスラッガーたちから三振の山を築き、「最強左腕」として君臨していたのです。また、イチロー選手との対戦も多く、2001年シーズンは9打数1安打に抑えるなど、そのカーブで翻弄していました。イチロー選手は、「まるで2階から落ちてくるような落差のあるカーブだった」と評しています。

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