【高校野球】「どうしたらええんや...」 甲子園初采配で追い詰められた大阪桐蔭・西谷浩一を救った"スーパー1年生" (4ページ目)
「試合に負けたあとのような雰囲気で、『西谷先生に話があるんですけど......』と言うから、『どうした?』と聞いたんです。そしたら、『試合に勝ってウイニングボールを渡そうと、みんなで話して頑張ったんですけど、あんな試合になって、最後もバタバタで二死満塁。終わったあと、ボールがどこへ行ったかわからなくなって......』って。申し訳なさそうに言うから、『いやいや、ありがとう。次に勝ったら頼むわ』と言ったんです」
その5日後。別人のようになった辻内が、藤代(茨城)を相手に大会タイ記録となる19奪三振の快投を演じ、大阪桐蔭も勝利した。
試合後、西谷は満面の笑みを浮かべた小林から、ウイニングボールを受け取った。ところが帰りのバスに乗ると、西谷のうしろの席に辻内が座っていた。
「おまえ、タイ記録やったってなあ」
「はい」
「ウイニングボールをもらったけど、最後も三振で決めたし、おまえがもらったほうがいいんちゃうか」
「いいんですか?」
遠慮気味に答えた辻内に、西谷は記念球を渡した。
「それから、あとは誰もくれないんです(笑)」
【甲子園通算75勝の名将が語る原点】
今や通算75勝。堂々の甲子園歴代最多勝利監督である。しかも、最初の1勝からわずか21年で積み上げた75勝だ。あまりにもハイペースな勝利の積み重ねが、「西谷監督の初勝利はもっと前だろう」という錯覚を生むのかもしれない。
こちらが持参した2005年夏の甲子園大会を特集した当時の雑誌を懐かしそうにめくりながら、西谷は小さく笑った。
「人のことなら『21年で75勝』と聞くと、すごいと思うんですけどね。自分のことだと思わないですねえ」
そして不思議なことに、甲子園初采配、初勝利の喜びや感慨を尋ねても、西谷の口から出てくるのは、自らの「未熟さ」だった。
「本当に『どうしよう、どうしよう』ばっかりで、何の策も打てない。言葉もかけてやれなかった。準決勝で負けた駒大苫小牧(南北海道)戦も、完全に監督の力の差で負けたと思っています。もちろん準備はしていたんですけど、試合が始まって動きだすと、駒大苫小牧戦も春日部共栄戦も何もできなかった。うまく選手たちを導いてやれなかった。初めての甲子園ということで思い出すのは、『何もできなかった』という、そのことばかりです」
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