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【高校野球】「2018年8月12日を一生忘れない」 仙台育英・須江監督が語る、惨敗から始まった日本一への物語 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Takahiro Kikuchi

 長い活動休止期間、夏の大会直前までの対外試合禁止処分、長年慕われた名監督の退任。須江監督は周囲から「火中の栗を拾うようなもの」と同情されたという。

 しかし、須江監督の実感はまったく違った。

「大変だねと言われましたけど、じつはすごく楽しくて。選手は部活ができない時期が長くて、野球に飢えていました。私も高校野球のことはよくわかっていなかったので、自分がやってきた中学軟式の野球と混ぜ合わせながら、毎日が実験のようなものでした。その両者が化学反応を起こして、選手たちは半年間で驚くような成長曲線を見せてくれたんです」

 宮城大会の直前にようやく対外試合禁止処分が明け、練習試合は数試合こなしただけ。それでも、仙台育英は夏の宮城大会を制した。機動力と守備力を生かしたチームに仕上がり、須江監督は「負けない野球ができるようになってきた」と手応えを深めていた。

 組み合わせ抽選の結果、初戦(2回戦)の相手が浦和学院に決まった。須江監督は浦和学院の戦力を「全国トップクラス。大阪桐蔭の次くらいに力があるイメージ」と分析していた。

 同年の大阪桐蔭は根尾昂(中日)、藤原恭大(ロッテ)らを擁した「最強世代」。結果的に甲子園春夏連覇を成し遂げることになる。

 一方、浦和学院にはのちに早稲田大を経てドラフト1位で西武に入団することになる主砲の蛭間拓哉(西武)や、大型右腕の逸材・渡邉勇太朗(西武)を擁するタレント軍団だった。

【浦和学院は特別な存在】

 埼玉県出身の須江監督にとって、浦和学院は特別な存在だった。

「子どもの頃から浦学のファンでした。私にとっては神のような存在。応援も格好よくて、県営大宮球場では応援団の近くで一緒に応援していました」

 大会主催社が企画する監督同士の対談で、須江監督は森士監督(当時)と対面した。浦和学院の強さを象徴するような人物だ。

「すごい闘争心だな......と感じました。お話を聞いても、ウチにどんなピッチャーがいて、どの打者がポイントになるか、よく分析していらっしゃいました。ウチのようなチームであっても、対策しているんだと驚きました」

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