【高校野球】左投げの捕手&三塁手、ダンゴムシ打法...25年前、甲子園で異彩を放った個性派集団・那覇高校の戦い (4ページ目)
左投げの捕手として注目を集めた那覇高校・長嶺勇也 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【甲子園初戦で劇的勝利】
8月14日、甲子園での中京商(岐阜)との初戦、1回裏の先頭バッター宮里の足を大きく上げるバッティングスタイルを目にした観客たちは一様に高揚し始める。
「何が起こるんだ......このチームは!?」
そして1回裏、那覇が守備につき、ボール回しが始まった瞬間、観客席から「おおぉー」とどよめきが起こる。左投げのキャッチャーとサードを、甲子園で初めて目にしたからだ。当時サードを守っていた金城はこう語る。
「甲子園練習の時からメディアにずっと同じ質問をされていたので、試合当日も注目されるんだろうなと覚悟していました。中京商戦では、気がついたらもう5回を過ぎていて、あっという間に時間が経った感覚でした。延長11回までもつれましたが、守備機会はたったの1回だけでした」
延長10回裏の中京商の攻撃。二死三塁と一打出ればサヨナラという場面で、この試合初めてサードに飛んできたゴロを金城が軽快にさばき、クルっと反転してアウトに仕留めると、スタンドから大歓声が沸き起こった。
そして11回表、那覇は二死二塁から中京商のショート・松田宣浩(元ソフトバンクほか)の悪送球で決勝点を奪い、2対1で勝利した。
だが、次の育英(兵庫)戦は、長嶺をはじめケガ人が続出し、ベストメンバーを組むことができなかった。2対7と5点リードされて迎えた7回裏、二死満塁で代打に出た比嘉が当時を振り返る。
「歓声がすごいなと感じていました。グラウンドがちょっと揺れていましたからね。構えた瞬間、『おおーっ』とちょっと笑い声が起きたと、あとで聞きました」
唯一無二の「ダンゴムシ打法」に観客は度肝を抜かれ、つい笑いも誘ってしまったが、強烈なインパクトを残した。
結局、満身創痍の那覇は育英に2対12と大敗。それでも個性派集団の那覇は甲子園の歴史に爪痕を残した。そして沖縄に戻り、長嶺らを中心とした新チームで始動した矢先、事件は起こった。
著者プロフィール
松永多佳倫 (まつなが・たかりん)
1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。
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