沖縄の高校野球が抱える県外流出問題に沖縄尚学・比嘉監督は「本音は残ってほしいなと思うけど...」 (2ページ目)
比嘉監督は2006年に24歳で沖尚の監督に就任すると、2年後の2008年、エース東浜巨(現・ソフトバンク)を中心にセンバツ優勝に導いた。
対して、我喜屋監督は56歳となった2007年から興南を率い、3年後の2010年にはトルネード左腕・島袋洋奨(現・興南コーチ)を擁し史上6校目の春夏連覇を飾っている。
以降、沖縄の高校野球は二強がリードしてきた。少なくとも周囲がそう考えるなか、当人たちは互いをどう見ているのだろうか。
「最近の(いい)選手は沖尚に行くからね......」
興南の我喜屋優監督はそう漏らした。沖尚は2024年秋の沖縄大会で150キロを計測した左腕・末吉良丞を筆頭に、田場典斗、大城諄來(じゅらい)、新垣有絃(ゆいと)と4人の1年生投手がベンチ入りした。周囲がうらやむのも当然だろう。
【周りの評価と現実とのギャップ】
しかし、内実は周囲の見方と異なる場合も珍しくない。沖尚を率いる比嘉監督は反論する。
「2024年に入学した1年生が中学生の時、『今年は沖縄尚学に集まっている』って例年以上に言われていたんですよ。でも僕が見たら、正直『ん?』というレベルでした」
たとえば、末吉は浦添市立仲西中学時代から「球の速いピッチャー」として知られたが、沖縄尚学は三顧の礼で迎えたわけではない。比嘉監督が続ける。
「中学時代に投げているのを、一度も見たことがないんです。『球の速いピッチャーが興南高校の近くの中学にいる』と聞いて、『左なら興南だろう』って勝手に思っていました。向こうが声をかけているだろうし、どのみちウチに来る可能性は低いだろうと思って見に行ってないんです(苦笑)。そうしたら本人が『沖縄尚学でやりたい』と希望しているということで、『ぜひ来てよ』と」
1年生の夏から公式戦で活躍、昨年の明治神宮大会初戦で先発して才能の片鱗を見せた末吉は、センバツでも注目投手のひとりに挙げられるはずだ。
球速の高速化が著しく進む昨今だが、1年生左腕が150キロを計測したインパクトは強い。その事実だけでも、周囲は「怪物」というイメージを浮かべるものだ。
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