1984年夏の甲子園〜PL桑田真澄のひと言に取手二ナインは奮起 どん底だったチームがひとつになった

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki

1984年夏の甲子園〜元取手二・中島彰一が振り返るPLとの激闘(前編)

 その時、取手二の中島彰一には、PL学園のエース・桑田真澄(元巨人)のボールの握りが見えたという。

 まっすぐだ!

「投手のフォームのクセや配球の傾向、野手の動きなども常に洞察し、球種を察知するように心がけろ」

 木内幸男監督からは、口酸っぱく言われている。それを常に頭に入れているし、何試合に1回かは、相手投手のテイクバック時に、くっきりと握りが見えることがあった。

 この打席の3球目がそう。真っすぐの握りが見え、この球はファウルになったが、それが予備動作になったのか。4球目も握りが見え、真っすぐと確信。高めに抜けてきた球を1、2の3で大根切り気味に叩くと、打球はレフトスタンドに飛び込む3ラン本塁打となった。

1984年夏、PL学園との決勝戦で延長10回に決勝本塁打を放った取手二の中島彰一 photo by Sankei Visual1984年夏、PL学園との決勝戦で延長10回に決勝本塁打を放った取手二の中島彰一 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【下馬評では圧倒的PL有利】

 1984年8月21日、第66回全国高校野球選手権決勝は、PL学園(大阪)と取手二(茨城)の組み合わせになった。下馬評では、圧倒的にPLが有利である。なにしろ、前年夏に1年生として優勝の原動力となったエース・桑田、4番・清原和博(元西武ほか)のKKコンビがさらに成長している。

 この年のセンバツでは、岩倉に0対1で惜敗したものの準優勝。6月に茨城で行なわれた招待試合で対戦した時は、PLが13対0で取手二を子ども扱いしている。桑田は2安打で完封し、清原はバックスクリーンに特大の一発をぶち込んだ。

 この大会でも、決勝までの5試合で清原は打率5割、享栄戦では1試合3本塁打という怪物ぶりを発揮し、桑田はほぼひとりで投げて防御率1.07と完璧だ。

 前日、金足農(秋田)との準決勝では、1点を追う8回に桑田が逆転2ランを放ち、終盤での勝負強さも見せている。

 だが台風の余波で、開始が30分あまり遅れた試合は、初回に2点を先制した取手二ペースで進んでいく。7回終了時点で4対1と、横綱を土俵際まで押し込んでいた。

「当時の茨城といえば、夏の大会でまだベスト8に入ったこともない、いわば後進県です。まして初めての対戦ならともかく、PLは一度、我々に楽勝している。ですから、多少の油断はあったんじゃないですか」

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