1984年夏の甲子園〜PL桑田真澄のひと言に取手二ナインは奮起 どん底だったチームがひとつになった (2ページ目)
いま、社会人・日本製鉄鹿島で監督を務める中島は、そう振り返る。
事実かどうかはともかく、前夜PLの宿舎では、主将の清水孝悦が、閉会式で優勝旗を受け取るリハーサルまでやったとか。それが、相手にリードを許すのだから想定外だ。
だがさすがはPL、終盤にジワリと追い上げる。8回に2点を返すと、9回裏には先頭の清水哲がレフトにホームランを放ち、ついに4対4と同点に持ち込んだ。
この清水哲、準決勝まで代打での出場から8打数5安打と好調で、この日が初めての先発だった。それが土壇場で劇的な一発とは、過去のPLが見せてきた神がかり的な勝ち方そのものだ。
取手二も頑張ったが、やはりPLか。延長10回にもつれたとき、4万3000人のスタンドは、ほとんどPLの優勝を思い描いただろう。
10回表に飛び出した中島の3ランは、その空気もろとも、試合の流れをひっくり返した。結局、さらにもう1点を加えた取手二が、8対4。「後進県」の茨城勢として,初めての優勝を遂げることになる。
【夏前にあわや空中分解の危機】
じつは......この夏の取手二は、優勝どころかチームが空中分解しかねない危機から始まっている。中島、エースの石田文樹(元横浜)、吉田剛(元近鉄ほか)らは83年のセンバツに2年生で出場し、この84年のセンバツでは、茨城勢としての大会最高に並ぶベスト8に進んでいた。
ただ春季関東大会は、主力を温存したとはいえ初戦負け。チームの流れは決してよくはない。木内監督は、リスタートのために主力選手に1週間の休暇を与えた。だが、なにかの行き違いがあったのか、メンバー外の選手もその間練習を休んだ。それに木内監督は激怒した。
「休んでいいといったのはレギュラーだけだ。レギュラーに追いつくチャンスのある補欠が休むとは......そんな補欠は、辞めてしまえ!」
メンバー外の選手に、クビを申し渡したのである。
主力選手たちは、これに反抗した。2年以上、苦楽をともにしてきた仲間にクビというのはかわいそうすぎる。もし撤回しないのだったら、我々も練習をボイコットします──。
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