【夏の甲子園】強豪復活を託された鶴岡東の佐藤俊監督 負け続けるなかで得られた「気づき」 (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro

【『勝ちたい、勝ちたい』だけの10年間】

 鶴商学園の社会科教員として採用されたのは1995年のこと。野球部のコーチ、部長をつとめたあと、2001年から監督として指揮を執ることになる。

 2000年、鶴岡東に校名が変わってから流れが変わった。

「それまでは部員数も少なかったのですが、2000年あたりから増えてきました。でも、私が2001年に監督になってから10年、甲子園には届きませんでした。当時は『俺が! 俺が!』という指導で、やったらやっただけ成果が出ると思っていた。ものすごく練習量も多かったですが、勝てませんでしたね」

 苦労はいつか報われる。

 努力は必ず花が咲く。

 そう思っていた佐藤の指導を変えたのは、ひとつの敗戦だった。2009年夏の山形大会の初戦(2回戦)で県立の置賜農業(おきたまのうぎょう)に敗れた時だ。勝利を求めるあまり、視野が狭くなっていることに佐藤は気づいた。

「自分が『勝ちたい、勝ちたい』と思っているだけじゃダメなんだなと。一歩引いて野球を見られるようになってから、勝てるようになりました」

【2019年夏に甲子園ベスト16入り】

 2011年夏、30年ぶりの甲子園出場を決めた。

「(監督になって)初めての甲子園行きが決まった時は、ものすごくうれしかったですよ。出るまでにものすごく時間がかかりましたから。でも、そこから2015年の夏の甲子園に出るまでの4年も長く感じましたね。甲子園に行ったら、次は『甲子園で勝ちたい』という欲が出ました」

 2015年、2016年の夏に2年連続で甲子園出場を果たした鶴岡東は、2019年の夏に躍進した。1回戦で高松商業(香川)に6対4で競り勝ち、2回戦で春のセンバツ準優勝の習志野(千葉)を9対5でねじ伏せた。3回戦で関東一(東東京)に6対7で敗れたが、その強打と粘り強さを全国の高校野球ファンに強く印象づけた。

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